やるべきか、やらざるべきか、それが問題だ(2)

 ベランダにプランターを置いてトマトを育てようと、手引き書を図書館から借りてきて読んだら、たまたまその本には腰が抜けるようなことが書いてあった。
 常識を飛び越えたその発想に刺激されて・・・というか猛烈に面白そうなので、柄にもなく一念発起して、ベランダ百姓をこころざすに至った経緯を前回に書いた。(まずそちらの記事にざっと目を通してから → こっちの記事 を読んでね)

 さて、のっけからこういうことを書かねばならんのはクヤシイが、わしはトッパナからリッパにしおれた。

 ホームセンターへ足を運び、元気そうで形も良いトマトの苗を慎重に選んで買ってきて、ベランダのプランターに植えかえた。
「最初だけ少し多めに水をやって、あとは何もやるな」
 指南書にそう書いてあったのでその通りにした。
 ・・・というか実は、「水と肥料(600倍に薄めた液肥)は原則として1週間に1回」と本にあったので、次に何かやるのは1週間のちでいいんだな、と放っておいたのである。

 しかし何となく気になって、3,4日めくらいにベランダを覗いてみて腰が抜けそうになった。
 みめうるわしかったわがトマトの苗は、哀れ無残な姿をさらしていたのである。
 葉は見るかげもなくしおれ、茎は中ほどで180度折れ曲がって、ほとんど地に頭をつけんばかりになっている。
 人間でいえば意識を失い、血の気をなくしてぐったりしている状態だ。
 それを見てわしは、十代の愛娘がヤサ男に振られてリストカットをし、血の気を失って絨毯の上に倒れているのを発見した父親みたいに呆然自失となった・・・といえばよいか。

 なんとか気を取り直して思った。
「こんなに息も絶え絶えになっているのに、肥料はともあれ水もやらないでいて、ほんとにいいのか!」と。

「いやいや、ココロを弱くしちゃいかん。ここで安易に水をやったのでは、子供を甘やかして育てる現代のバカ親と同じになっちまう!」
「・・・しかし、このまま死んじまったら、元も子もないぞ」
「いや、そう簡単に死にやしない。リストカットでじっさいに死んだ少女はいない」
 などと葛藤煩悶したわけである。
 果たして(水を)やるべきか、やらざるべきか・・・と。

 今は、このような生育過程の詳細に立ち入る余裕はないので省略するが、結論からいうと、わしの「トマト育て」は残念ながらみごとに失敗した。

 失敗の原因は、「トマトを甘やかさず過酷な状況に置いて、本来の生命力を引き出す。そのためには水と肥料をできるだけやらない」というこの農法の教えを、ムキになってやりすぎたことである。

 葉がしおれたり黄ばんだりしたときは、心情的には水をやりたくてたまらなかったのだが、いやいやここがガマンのしどころだ・・・などと懊悩しつつ懸命にガンバッタのである。
 その結果、死なないで花はつけたが、その花は実(み)になる前に枯れたり折れたりして、ほとんどがオシャカになった。
努力は文字通り実を結ばなかったのである。枯れたトマト

「過ぎたるは及ばざるが如し」
 という人間の知恵がある。それを忘れて失敗することをこれまでイヤになるほどくり返しきたのに、この年になってまたやってしまったわけだ。

 改めて指南書を読み直してみると、ちゃんと書いてあったよ。
 この農法は度を過ごすと、トマトはまず自分の身を守ろうとして、花は咲かせても実をつけないケースがある、と。
 要するに、種族保存より個体保存をまず優先させるわけだ。
 これはまあ「自然界の大根幹法則」だろう。

 結論として、「知識に頼るより実践が大事」という、「人間界の大根幹法則」を実践的に学んだことが、収穫といえば収穫といえる。

 それ、単なる負け惜しみじゃないの。

トマト

数百の花をつけたが、そのうちわずか数個が実った。

ポチッとしてもらえると、張り合いが出て、老骨にムチ打てるよ

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