人生思い通りにいかないワ

雨の日

 何度かこのブログにも書いているが、女房の母親は現在99歳で、電車で2時間ほど離れたところに独りで住んでいる。(→「100歳老母の判定勝ち」

 先ごろ、この義母の住居をリフォームした。
 築35年以上が経って、あちこちの汚れが目立つようになり、不具合も出てきたからである。

 歳月を重ねると、生物・無生物を問わず、必ずどこかが疲弊(ヒヘイ)してくる。その正確無比さは驚くばかりで、創造主というか造物主の偉大さにひれ伏したくなる。つまり人間だって築70年~80年となれば・・・と、これは言っても言いがいのないグチ。

 さて、義母の家のリフォームだが、今回対象にしたのは、風呂とトイレと洗面台など水まわりである。ほんとうは、居間も寝室も書斎(義父が長く使っていた)もいっしょに・・・つまり家まわり全体を若返らせたかったのだが、先立つモノが必要であり、ソチラ様と相談した結果、ひとまず水まわりを優先することにしたわけである。

 この小さな工事を進めるために、娘が大働きをした。
 娘といっても99歳の娘だから、70代半ばである。母親ほどではないが、こっちにもヒヘイ客は大威張りでやってきている。とくに先頭を切って座りこんでいるいるのが、心臓病と股関節炎。リフォームも、これら厄介な招かざる客とネゴシエートしながら、シコシコやらねばならない。

 なかなかタイヘンだが、それでも、残り少なくなった老母の人生を少しでも生きやすく・・・できることならわずかでも楽しいものにしてやりたいと、ケナゲな老娘はガンバッタ。

 ところが、やってみると思っていた以上にタイヘンだった。
 まず、星の数ほどあるリフォーム業者のなかから、良心的な事業者を見つけ出すことから一大事業だった。そのためには多少とも業界のことを知る必要がある。苦手のパソコンと吐き気がするほど向き合って、ともかく必要最低限の情報を手に入れた。「腹をくくってやってみると、できないと思っていたものも案外できるものだわ」という想定外の教訓まで、オマケとしてケナゲ娘さんは手に入れた。

 ようやく業者が決まった。担当してくれたのが女性で、しかも心くばりのできる誠実な人だったので、運がよかったとほっとした。

 ところが思わぬところに伏兵がいた。工事の施主ともいうべき母親である。
 いちおう「全てあんたに任す」と全権を委任されていたのだが、じっさいに住むのは母親だ。カタログに山とある品目のなかから、必要な商品や部品を選んで発注するのだが、決定する前にひとつひとつ母親に相談する。するとけっこうあれこれと注文が出る。「全てあんたに任す」わけじゃなかった。

 当人が具体的に使う身になって初めて出てくる希望なので、もっともな注文ではある。それはいいのだが、最終決定をして注文書を業者へ発送したあとで、あれはやっぱりこちの方がいい、これはやはりああしてほしい、と言われるのには手をやいた。で、ケンカになる。実の母娘だから手慣れたもんで手続きは難しくない。

 ケンカはするものの、できることなら叶えてあげたい・・・と娘は、ルール違反を承知であえて(心臓をかばいつつ)業者に電話を入れる。担当者がいい人なので可能なことは応じてくれるが、部材などをすでに建材屋に発注した後で、変更できないものもある。・・・となると何となく、母娘の間がしばらく楽しくない。

 そんなこんなの山谷をこえて、とにもかくにもリフォーム工事はすべて終わった。
 だが、そのあとに衝撃的な現実が待っていた。母親が言ったのである。
「前のほうがよかった。かえって使いづらくなった。・・・というか、これからずっとこの家で生活するとのかと思うと、つらい。老人ホームのほうがましかも・・・」

 母親自身も、自分が何を言っているか分かっている。娘が自分のために一生懸命やってくれたことなのに、こんなひどいことを言うなんて・・・と。ほかにグチをこぼせる人がいればいいんだけど、親しい友だちはみんなあの世にいる。長生きするのもよしあしだ・・・自分は長く生きすぎた・・・と、彼女にしてはずいぶん弱気なことを口にする。
 それを聞くと娘のほうもつらい。

 しかし、母親がリフォーに不満なのはもっともなのだ。100歳近く生きたことで、体はふつうの人に比べて30センチほども縮んでいる。どんなにきれいでもサイズが合わない家具装備は使いにくい。巨人国に行ったガリバーみたいなものか。そういうことに最初から気が回らなかったことが、そもそもうかつだった、何てことをしてしまったのだろう・・・と娘のほうも落ちこんでいる。

 当たり前のことをいうが、老人とは「老いた人」のことである。「老いる」とは「古くなる」ことだ。「老人」と「新しいもの」の仲がいいわけがない。
 言い換えれば、それまで慣れ親しんだ生活習慣や環境を変えることに、老人は強い抵抗感をもつ。
 理屈ではない。体もこころも受け付けないのだ。つまりそういうふうに老人は造られている。べつに創造主に責任転嫁すつもりはないけど。(・・・って転嫁してるんだけどね)

 ともあれ老人は、存在自体がそういうものなのだから仕方がない。老母をわがままだと責めるわけにはいかない。

 カワイソウなのは娘のほう。少しでも母親に良かれと思って、自身老いた体にムチ打ち、招かざる客のご機嫌をとり結びながら一所懸命やったのに、思いとはまるで逆の結果を生んでしまったのだから・・・。いらい元気がない。

「何ごとも思い通りにはいかないよ。それがこの世のならいだって。思い通りにいくほうが珍しいの。だからきみがやったことはいわば “人生の王道だ”。落ち込むことはぜんぜんない」
 などと言ってわしは老女房をなぐさめるのだが、ハラのなかで思っている。
「お前もイイカゲンなやつだな。こういうのを “王道”って言うか?」

 ま、わしら夫婦も、家より、脳まわりのリフォームが先のようだ。

 

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人生思い通りにいかないワ” に対して 2 件のコメントがあります

  1. misa より:

    白寿のお母様の感想は、正直に仰っただけで、わがままではありません。
    奥様の娘心もよくわかります。親孝行したいだけだったのに。みんなが善意で動いたのに。
    思いがけない結果、切なくなりました。新しい環境に慣れてくださるといいですね。

    1. Hanboke-jiji より:

      うまくいくときもあればうまくいかないときもある。
      80年も人間商売をやっていると、そのことを何度も思い知らされます。
      一面、だから人生は面白いといえるところもあるかもしれませんね。
      こうやって、ああだこうだと言いながら、生きていくんしょうね、人間って。

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