牛市が立った

牛市

 わしが生まれ育ったのは、兵庫県の北部にある但馬である。
 ”但馬牛”の産地だ。但馬牛といっても、わしの子供の頃はほとんど世間に知られていなかった。現在は多少知られるようになったようだが。
 しかし、以前から”神戸牛”とか”松阪牛”とかのブランドで売られている黒毛和牛肉は、主にこの但馬地方の農家が農作業のかたわら育てたものだった。

 そういう所だったので、当時わしの生まれた村では、月に1回 “牛市” が立った。
 その日には但馬の各地から、あるいはもっと遠くの方からも、セリにかけられる牛たちが続々と連れてこられた。最寄りの国鉄の駅まで貨車ではこばれ、駅からは3キロほどの道のりを、牛たちは手綱でひかれてセリ会場へ追いこまれる。今なら車だろうが、当時は車を使うものなど誰もいなかった。

 わしの家はその道筋にあった。
 だから市が立つ日は朝まだ暗いうちから、牛たちのひずめの音や鳴き声が聞こえてきた。わしはもぐりこんだ布団のなかでその音を聞いた。
 冬の朝など、何十頭と列をなして追われていく牛たちの吐く息で、辺りが白く靄って見えるほどだった。

 牛たちは、きょう売られていく運命が分かるのか、また一部の牛はその後に待つ過酷な運命(屠殺)を生き物の本能で感じとるのか、いつもとは少し様子がちう。鳴く頻度がふだんより何倍も多く、どこか悲しげだった。

 目もいつもと違った。ふだんは目全体が黒褐色で、穏やかで優しい目をしているのだが、セリにかけられる日の牛は白目が多く出て、目の玉も黒々としギョロギョロとよく動いた。
 暖かい季節には背にたかるハエを追い払うために尻尾を振り回すのだが、ハエだけでなく心の不安を追い払っていたかのように、いま思い出すと思える。

 こういうところに生まれ育つと、子供たちは他所ではやらない遊びをする。
 ”牛追いごっこ” とわしらは呼んでいた。
 多くは年下の子や女の子が牛にされる。稲縄のはしを “牛” の首や胴に巻きつけ、他方のはしはぐるぐる回しながら、ときどきそれで牛の背や尻をたたく。すると “牛” はモーと鳴かねばならない。

 もちろん牛になるのを嫌がる子もいた。が、そういう子は仲間はずれにされて遊んでもらえないので、しぶしぶ牛になる。もっとも中にはもともとMっ気があるのか、嬉々として牛役をやりたがる子もいた。人間さまざまである。

 ともあれそうやって牛役と牛飼い役が一組になり、牛役がモーモーと鳴き、牛飼い役がドードーと言って縄のはしを振りまわしながら、その辺をぐるぐる歩き回るだけの遊びである。どこが面白いのか、今となるとさっぱり分からないが、それで30分や1時間はドードーと遊んでいたのだから、子供というのはじつに特異な才能の持ち主だ。

 セリ場には独特の雰囲気があった。
 売る側は手塩にかけて育てた牛を売るのだから、できるだけ高く売りたい。買う側はもちろんできるだけ安く買いたい。その思いがせめぎ合ってセリ場にうず巻く。

 牛が舞台の袖から引き出され、セリが始まってわずか数十秒から数分のあいだに、両者の熱気がぶつかりあい、うず巻いて会場に膨れあがって、頂点に達したところで木槌が打たれ、結果がでる。いくらで、誰の手に渡るのかが決まる。

 売る側は、予想より高く売れたときは満面の笑みだ。家族もいっしょに来ているときは、手を取り合って喜ぶ。予想より低かったときは肩を落とす。目もうつろになってぼう然とする人もいる。
 それに比べて買う方は良くても悪くてもあまり感情を顔に出さない。買い手の多くはプロのブローカー(かつては馬喰と呼ばれた)や製肉会社の社員だったからだろう、と今にして想像する。

 セリが終わった牛たちは、朝来た道を逆に駅へ引かれてていく。だが手綱をもっているのは朝とは違う人間だ。
 こうして、この日を境に牛たちの運命は大きく変わる。牛自体の与り知らぬころで勝手に運命を決められて・・・。
 そういうことを牛たちは知っていたのだろうか、と当時の光景を思い出しながら思う。

 知っていたように思う。もちろん人間がするような理解ではないだろう。だが生き物の本能の部分で感じとっていたような気がする。まぶたに浮かぶ牛たちの様子からそれが感じられる。悲しい生き物である。

 だが考えてみれば、じつはわしら人間だって大して違わないのではなかろうか。鼻先に結ばれた運命の手綱を握っているのが、目に見えないより大きな存在であるというだけで・・・。

 なにやら話がとつぜん茫漠としてきたが、人間もふくめて、生き物の存在の意味そのものが茫漠としているのだから仕方がない。

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

 画家のゴーギャンが自殺する直前に描いた絵のタイトルである。
 この問いに答えられる者はいない。いるとすれば “大いなる存在” だけだ。
 ということはつまり、人間は何も分からないまま生まれてきて、自分が何者であるかも分からず、どこへ行くとも知らずに、死んでいくということだろう。

 それじゃいったい、われわれは何のために生まれてくるのだ?
 やれやれ・・・結局、堂々めぐりである。

〔冒頭の写真は現在の牛市場。わしが子供のころにあった場所から、少し離れた所に移った。〕

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