カマイタチは老人が好物?

カマイタチ

 このあいだシャワーを浴びていたとき、左足の向こうずねに水がしみてヒリヒリ痛んだ。
 あれ、どうしたのか、と思って確かめてみると、長さ5,6センチくらいの傷がついている。
 それほど深くはないが、枯れ枝の先でこすったみたいな糸状の傷だ。面相筆に赤絵具を付け、老いて震える手で線を引いたように血が赤くにじんでいる。

 わしは首をひねった。そんなところに傷をつけた覚えがまるでない。水にふれるだけで痛いと感じるかなり大きな傷だ。
 これだけの傷を向こうずねに作るには、ソートーの勢いで何かに足をぶつける必要がある。あるいは何か尖ったものの先にひっかける行為を欠かせない。
 しかしそんな覚えはまったくない。・・・ということはどういうことなのか? はばかりながらわしはアンドロイドじゃない。わしの生身のからだに付いた生の傷なのだ。

 ある種のビビリが背筋に走った。1ヵ月ほど前に81歳を超えたオレの老化は、ついにここまできたか・・・と怯えたのだ。
 ここまで・・・というのは次のようなことだ。
 年とともに新たに現われる体のあちこちの衰えは、ひごろからこれ見よがしに見せつけられてはいるが、痛みや痒みを脳に伝える神経細胞にまで、ついに老いの手が回ったのか・・・と怖じけづいたのである。

 考えてみれば、実は今回が初めてではない。これまでにも何回か、同じような傷が知らぬまに足や手についていることに気づいて、首をひねったことがあった。

 だが今回ほど深刻には考えなかった。子供のときから寝相が悪いと家族に言われていたわしは、ヤなヤツの夢でも見て夢のなかでブルース・リーよろしく足を振りまわし、ベッドの角にでもぶつけたのだろう、くらいに考えてやり過ごしていた。

 しかし今回は、その手でごまかすには傷が大きすぎた。血も出ていて生々しい。これだけの生傷を身につけながら、当人がその傷をつけたときのことをまるで自覚していないというのは、やはりちょっと異常だ。

 わしは恐るおそる傷近くの皮ふをつねってみた。ちゃんとふつうに痛い。つぎに指の爪を跡がつくほどつよく押しつけてみた。やはり痛い。
 ・・・ということは、痛みを脳に伝える神経細胞がやられているわけではないのか。

 ひょっとすると、傷をつけたときにはちゃんと自覚はあったが、その自覚の記憶が飛んだのかもしれない。
 たしかにもの忘れは鋭意進行中だ。だがそれは人名やふだんあまり使わない語彙の分野だ。自分がした行為を忘れることはまずない。自分がやったことを忘れるようになったら、それこそまちがいなく認知症楽園に足を踏み入れている。

 分からん。・・・とわしは首をかしげ、よけい不安になった。

 翌日、老人仲間の集まりがあったのでこの話をしてみた。するとだれも驚かない。それぞれに同じような経験があったのである。

 オレだけじゃなかったか・・・と一応ホッとする気はしたけれど、なぜこのようなことが起きるのか原因・理由がわからないので、すっきりしない。
 そのときひとりが言った。
「カマイタチじゃないの」

 カマイタチとは、手足の先に鎌状の鋭い爪をもったイタチの妖怪だ。風に乗ってとつぜん現れ、人間に切り傷をつける・・・というのが一般に耳にする俗説だ。
 調べてみると、科学的には、空気中に真空部分が生まれて、それに接するとその部分の皮膚が裂けて鋭利な鎌で切ったような傷ができる・・・と説明されている。

 ほかに納得できる知識をもたぬ以上、この説にすがりつく以外にない。わしもこれを額に押しいただいて、ひそひそと足音をしのばせて近づいてくる老化軍団への怯えを振り払った。

 蛇足だが、もし本当に神経細胞が衰えて痛みをかんじなくなり、カミさんの爪にひっかかれてもニコニコしているようになったら、オレもおしまいだなと思う。・・・というか、カミさんのほうでも気味悪がって近づかないんじゃないか。爪を立てようとする意欲も出ないだろう。

 いや、考えてみれば冗談じゃなく、わしの近辺にはもう一匹、別種のカマイタチが徘徊していることに、いま気づいた。

 ときおり何らかの理由で、わしとカミさんの間にとつぜん真空状態に近い状況が生まれることがある。その際のカミさんの反応のなかに、その時はなんでもなくても後になってから傷口から水がしみるようにヒリヒリ痛んでくる場合がある。

 老化軍団にやられて、そうした痛みを感じ取る感覚細胞や、さらにそれを脳に伝える神経細胞が衰えた結果、なんら痛みを覚えずニコニコしているようになったら、それこそわしという生きものは本当におしまいだな、と改めて思った。

 老いの進化は遅々として速い。

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