私は猫になりたい

私は猫になりたい

 最近母親を亡くしたカミさんが、ここのところ元気がないのは仕方がない。
 母親は百歳まであと2ヵ月を残すだけ・・・といういわば大往生で、むしろ拍手をもって送り出したと言っていいのだけれど、自分をこの世に生んでくれた人と幽冥境を異にするというのは、やはり言うに言われぬものがあるのだろう。

 ・・・といってわしも80歳を越えてるので人並みに親を亡くしているのだけど、父親は60年前、母親は20年前だから、親を喪った子の気持ちなんて、遠~いィ時間の霧のなかに消滅している。多少は残っているかも・・・と記憶のボトルをひっくり返してみたけど、一滴も落ちてこなかった。

 だいたいわし自身が、幽冥境を異にする峰の頂きにただよう霧のなかに消えかかっているのだから、親を喪った気持ちより、もうすぐ会えるネ、といった気分のほうが強い。
 
 老妻に話をもどすが、彼女は先ごろ、昼食後ぼんやりテレビを見ながら、テレビではなくはるか彼方の宇宙空間へ視線をやっているような風情で、ぽつんと言ったのだ。
「ああ、猫になりたい・・・」
 
 じつに実感のこもった声だった。
 夏の炎天下を何時間も歩いたあと、ビールのジョッキを思い浮かべたような・・・。
 あまりにリアルなそのヒビキに、一瞬ドキッとしたほどだ。

 とつぜん見知らぬ他人になったような女房の横顔を、わしは黙って見ていた。
 その視線を感じたのだろう、彼女は宇宙の無限空間からひょいとわが家にもどってきて、いつものカミさんの顔、いつもの女房の声で、
「どうしたの?」とけげんそうにわしを見返した。で、わしは訊いた。
「お義母さんのことを考えていたの?」
「お母さん? ・・・ううん、考えてないわよ」
「じゃ、なに考えてたの?」
「別になにも考えていなかったと思うけど」
「でもひどく気合いの入った声出してたよ」
「何て?」
「『ああ、猫になりたい・・・』って」
「ふ~ん・・・でもそれなら言ったかもしれない」
「ひとごとみたいだね」
「そういえばさっきぼんやり思ってた。死ぬこともふくめて、人間って、生きるのしんどいなァ~って」
「ふ~ん」
「そう思わない?」
 わしは答えなかった。分かりきったこをわざわざ口にしてもしょうがない。
 
 口には出さなかったけれど、わしはそのとき、頭の中でべつのことを考えていた。
 わしが若いころ、『私は貝になりたい』というドラマが世間で評判になった。善良で誰からも好かれている愛すべき理髪店主が、太平洋戦争で兵隊にとられたとき、絶対命令の上官の指示でいやいや捕虜を殺した。そのことで戦後戦犯として逮捕され、処刑されるに至るまでを描いたドラマである。彼は獄中で、なぜ自分が処刑されるのか分からず、また自分が死んだあとの愛する妻や子を思って苦悩する。そして最後に「今度生まれるときは貝になりたい」と言って死刑台にのぼる。
 
 もちろんこのドラマの「貝になりたい」と、わがカミさんの「猫になりたい」は、同じ「なりたい」でも重みがちがう。

「貝」と「猫」を比べたらふつう猫のほうが重いよ、なんてツッコミ入れないでね。あ、そうか、なんて言いそうだから。
 
 冗談はともかく、思うんだよね。重みはちがうけど、本質は同じじゃないのかなァって・・・。
 
 80年余り人間やってきて、わしもつくづく思うよ。
 こんどこの世に生まれてくるなら、人間より猫のほうがいいなァ~って。

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