あの世へジリ貧バスに乗って行く?(1)

墓

 なんども書いているがわしたちには子供がいない。
 わしの親族は遠く離れたところに住んでいて付き合いがない。
 女房には弟がひとりいるが結婚していない。
 つまりわしらは墓を持つ意味がない。
 
 そもそもわしらは根っからの無宗教だ。
 目に見えない “大いなる存在” は認めるが、人間がつくった宗教組織には関心がない。仏教も例外ではない。当然わが家には神棚も仏壇もない。

 実際わしらは、この世から旅立つ日もそう遠くないというのに、墓をどうするかなど考えたことがない。
 天然自然の元素に還る。わしらにとって死とはそれ以外の何ものでもない。
 そんなわしらにとって寺や霊園のハカは、動物園のカバと同じくらい付き合いが薄い。

 ところが老義母が亡くなって、そうも言ってられない事態が起きた。
 女房の実家(N家)は、じつは都心にある某寺の檀家だ。そこに先祖代々の墓がある。その墓へ老母の遺骨を納めたとしても、あとたかだか10年くらいでその墓を守る者は誰もいなくなる。

 お寺さんだって、誰もお参りにこず、一銭のお布施も落としてくれない墓をいつまでも抱えていたくない。抱えるのならもっと抱きがいのある豊満な・・・と考えるだろう。

 ともあれ、このさい墓じまいをしようということになった。
 そう主張してイニシアチブをとったのは義弟である。彼はいちおうN家の長男なので、墓の問題を考えなければならない立場にあった。
 
 だが墓じまいといっても簡単ではない。さまざまな手続きや行事。そして金が要る。それもバカ高いという声も耳にする。

 葬祭に関する時代の流れは、葬式ひとつとっても簡素へ簡素へ、縮小へ縮小へと向かっている。ゼロ葬といって、火葬料以外いっさいお金をかけない葬り方をする人まで出てきた。
 
 つまりお寺さんは、否も応もなく “ジリ貧バス” の運転手にさせられている。
 まだ運賃が取れるうちは取れるところから取っておこう、と思うのは人情だ。墓じまいもお寺さんにとってはそのアイテムの一つだろう。バスから降りようとしている人の足首をつかんで、最後の商売をしようとするのも、まあ分からぬではない。
 N家の場合、墓じまい料は40万円だといわれた。
 
 しかしそれで終わったと思ったら甘い。
 他の生きものとちがって、人間ってやつはどこまでも面倒だ。
 つまり墓じまいをして、このテの面倒と手を切ろうとしても、そうは問屋が卸してくれないのだ。それを次回に書く。

        お知らせ
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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