わが家の小悪魔

 女というものはどこまでが天使で、どこから悪魔なのか、はっきり分からないものだ。ただこれだけは言える、我が家には悪魔がいる」

 こう言ったのは、19世紀のドイツの大詩人ハインリヒ・ハイネである。
 およそ男なら、この言葉に何かしら反応しない者はいないだろう。
 
 はばかりながらわしだって、老いたるとはいえ男の片割れ、反応する。
 といっても「我が家には悪魔がいる」とは口はばったくて言えない。
 
 先の大詩人の言によれば、レッキとした悪魔がいるならレッキとした天使もいるはずだ。だが我が家の「女」は、天使/悪魔の両面においてレッキとしていない。そんな小説や映画に出てくるようなエッジのきいた女がわしの女房であるはずがない。まあごく普通の女であるといっていいだろう。
 
 それでも天使/悪魔の両面をリチギに備えているところがやはり「女」である。エライ。
 もっとも正確を期するなら、「小天使/小悪魔」の下をいく「小々天使/小々悪魔」といったところか。
 
 「小々天使」が現れるのはどんなときか。
 当人の機嫌がいいときである。
 どんなとき機嫌がいいか。
 まず体調がいいときだ。体調がいいと総じて機嫌もいい。人間の仕組みとしてこの二つは連動するのだろう。
 
 体調以外で機嫌がよくなるのは、何か良いコトが連続してあったときである。
 たとえば、天気が良いのでスーパーへ買い物に出かけたら、たまたまその日はそのスーパーの “大創業祭”で、いろいろなものがほぼ半値近くで買えたうえに、その日はさらに還元ポイントが10倍付く日で、トクしたわ~、とホクホクしながら帰るとちゅう、知り合いの奥さんと出会って、着ているものがオシャレ~と褒められた・・・とかね。
 
 ま、そんなふうなコトでご機嫌になっているとき、そのご機嫌の余滴がこぼれ落ちたように思いやりのあるやさしい言葉をかけてくれる。・・・ときがある。
 アレッと思わず顔を見直したくなる。
 正直、天使に見えることはないが、いつもより多少美しく見えたりする。・・・ときもある。
 
 当然だが「小々悪魔」が出現するのはその逆だ。つまり機嫌が悪いときである。
 体調がわるいのは原因のひとつに過ぎない。他のさまざまな理由でも機嫌はわるくなる。人間だれにもあることなので、いちいち具体例を挙げなくても、自身を振り返っていただくだけで充分だろう。
 
 そういう不機嫌なときは、言う必要のない皮肉や嫌味が口からこぼれ落ちる。
 
 たとえば、わしが重要な書類をどこに仕舞ったか忘れてしまい、青くなっていると、
「よかったわね、今日やる仕事ができて・・・」
 とにこりともせず言う。
 実際、その日ほとんど半日かけて探したけっか書類が出てきて、ホッとすると同時に、同情のかけらもなかった女房の顔を思い出して、「鬼か!」とハラが立つ。「悪魔か!」と言わないところが日本人だが、実質は同じ。
 
 あるいは何かの話の流れで、「人間には誰にも裏の顔があるからねぇ」と口にしたら、冷ややかな目でわしを見て、
「あなたの裏の顔なんて、見たくもないわ」
 とレー然と言い放つ。
「表だけで充分・・・」
 といったニュアンスが言外にあって、それをわざわざ言う必要があるか? と不快になる。・・・というようなこともある。
 
 しかしまあ、調子の良し悪しで人間が変わるのは誰しもあることで、とくべつ「女」に限ったことではない。わしだって機嫌の悪いときはもっとひどいことを言っていると思う。
 ま、お互いさまだ。
 そこが大詩人ハイネと違う。
 
 ひょっとすると、どっかの女流詩人が書いているかもしれない。
「夫というものはどこまでが頼りになるパートナーで、どこからが身勝手な厄介者なのか、分からないところがある」と。
 

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