偶然って何ですか?

 前々回と前回の2回にわたって、学生時代に民家に間借りして住んでいたとき、隣の部屋をやはり借りて入っていた若い夫婦の、とある事情について書いたが、実はこの話には後日談がある。(前々回「ある夫婦の事情」は → こちら
 
 その家をわしが出たあと、まもなくして隣室の若夫婦も去ったらしいが、もちろん彼らとはそれっきりになった。
 一時期、たまたま壁1枚へだてただけの隣同士だったけれど、それは単なる偶然で、また赤の他人に戻ったわけである。
 前回に書いたような、その時期の彼ら夫婦の危機的事情につけこんで、奥さんと何らかの関係でもできていれば話はべつだが、その頃のわしにはそんな知恵も度胸もなかった。今になってみればちょっと残念なような気もしマスがね。

 で、後日談である。
 間借りを出て5,6年ほども経っていたろうか。
 社会人になって数年を経たある夜、会社の同僚数人と終電まじかまで酒のはしごをして、家路につこうとしたときであった。
 繁華街の路上で後ろから来た車にはねられた。
 ボンネットの上にはね上げられ、そこで1回転して地面に落ちたのだが、たまたま車がスピードを落としていたこともあって、奇跡的に大きな怪我にならずにすんだ。

 幸運だったという以外にない。
 特に痛いところもなく、ふつうに歩けたのだけれど、後になっ支障が出る可能性もあるからと同僚たちに強く勧められ、そこからタクシーを拾って最寄りの病院へ行き、診察を受けた。
 
 深夜のことで、中規模のその病院は、夜の学校のようにしんとしていたことを思い出す。
 
 案内された診察室でしばらく待っていると、若手の医師が現われた。
 その医師を見てわしは驚いた。前々回と前回に書いた、隣室に間借りしていた夫婦の夫だったのである。

 隣人だったときはまだ医学部の学生だった。それから何年かの月日は経っていたから、おそらくインターンか研修医として、たまたまこの病院にいたのであろう。
 
 いま思い出すとちょっとへんだと思うのは、そのときわしたち(わしとその医者)は、交通事故の状況説明と医師としての診察結果の話は交わしたが、それ以外の話はまったくしなかったことだ。
 
 いくら医者と患者として出会ったとしても、かつては隣人だったのだ。
 ふつうなら「お久しぶりです」とか「奇遇ですね」とか「奥さんはお元気ですか」くらいの言葉は、口から出てもおかしくない。

 ところがそういう話は一切しなかった。
 前回に書いたように、相手の医師はもともと口数の極端に少ない男だったし、それを知っているわしのほうも、余計な口はきかないよう気を使ったのかもしれない。
 それにして、今こうして振り返ると、やはり少々ふつうじゃない。
 
 いや、ここで書こうとしているのは、そういうことではなかった。
  “偶然” についてだった。
 
 ある日の退社時に、出口でたまたま顔を合わせた同僚に誘われて、予定になかった酒に付き合った。たまたま話がはずんで遅くなり、その帰途たまたま後ろから来た車にはねられた。その場からたまたま最寄りだった病院へ駆け込んだら、診察してくれたのはその夜たまたま当直だった医者だが、その医者は何年か前、隣同士として数年間同じ屋根の下で暮らしていた男だった・・・という偶然。
 
 こういう現象が生じるには、いくつもの偶然が重ならなければならない。
 こうした偶然って、いったい何だ? と思ってわしはときどき考え込むことがある。
 
 考えてみれば、人間の一生というのはこういう偶然の連続だ。
 つまり人間の人生は、偶然の連続で成り立っている。
 その結果として、今、わしはここにこうして生きている。
 
 そのことを極めてストレートに示す身近な具体例をひとつ。
 
 上に述べた交通事故のとき、傍にいたのはその直前までいっしょに飲んでいた同僚4,5人だった。
 幸い怪我はなかったものの、念のため最寄りの病院へ行くことになったとき、一緒にタクシーに乗ってくれたのは、その同僚の中のひとりだけだった。

 終電間近の時間だったし、何より事故に遭ったわしがピンピンして歩いていることもあったろうが、みんなは「じゃあ・・・」と手を挙げてさっさと駅へ足を向けたのである。
 
 そのとき、ひとりだけ病院まで一緒にきてくれたのが、今のカミさんである。その頃は特別の関係ではなく、ただの同僚のひとりだった。

 結婚してからだが、カミさんに訊いてみたことがる。
 あのとき病院に一緒に来てくれたのは、わしが好き・・・とまでいかなくても、多少は好意を持っていたからなのか、と。
 
 するとカミさんは、とんでもございませんという顔をして答えた。
 自分が病院に行ったのは、あのとき一緒にいた他の同僚たちに腹が立ったからだと。
「そもそも、乗り気でなかったあなたを強引に飲みに誘ったのは彼らだし、事故のあと、念のため病院へ行けと強く勧めたのも彼らだったでしょ。なのにいざとなると誰も付き添おうとしなかったのを、覚えてない? 口先だけの彼らにちょっとムカついたのよ」

 訊かなきゃよかった・・・と思わないでもないけど、あのときの同僚たちの中に、口先だけじゃないのがたまたま1人でもいたら、わしの一生は大きく違っていたかもしれない。
 
 それを思うと、改めて偶然って何だ? 考えずにおれない。
 

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