ある夫婦の事情(下)
学生時代に民家の2階を間借りしていたとき、隣の部屋に住んでいた夫婦の話を、前々回からしている。
今回もその続き。(前回まではこちらから → (上)(中))
寒い冬の夜10時ごろだった。
ダンナが帰宅するのはいつも8時ごろだったが、夕食が終わるあたりから、その頃お定まりのようになっていた夫婦喧嘩がはじまった。
しだいにエスカレートしていったのはいつもと同じだが、この夜は何かが少しちがった。奥さんの声にどこか切迫感があって、いつもより一段と音量も高い。
それまで喧嘩をしてもだいたい30分程度で終わっていた。だがこの日はなかなか下火にならなかった。
「なんか今日はいつも違うな~」
と思っていたら、いきなり荒々しくドアの開く音がし、バタバタと階段を駆けおりる足音がつづいた。1階の、間借り人専用の通用口のドアの開閉音もして、外へ飛び出したらしかった。
飛び出したのは奥さんだな・・・などと第三者の気楽さで思っていると、数分もしないうちにわしの部屋のドアがノックされ、ダンナがへたれた顔をして立っていた。奥さんのオーバーらしきものを手に持っている。
妻が着のみ着のまま飛び出したので追いかけて行くが、もし彼女が先に帰ってきたら、自分は探しに出ていると伝えてもらえないかと頼んで、階段を下りていった。
どうなるのだろう・・・などと野次馬的好奇心を刺激されたが、ふたり共なかなか帰ってこなかった。で、布団の中に入ったらいつのまにか寝てしまった。
翌朝はいつもと同じ時刻にキッチンで音がし、朝食のあとふだん通りにダンナは家を出てった。
その日はつまらない授業がつづいていたので、わしは学校へ行かなかった。
昼食をキッチンで作っていると、奥さんが部屋から出てきた。
予想どおり・・・というか期待どおりだった。
昨夜あんな派手なケンカをしたのだから、あの奥さんのことだ、何かグチか泣きごとか恨みごとを口にせずにはいられないだろう・・・と思ったのである。
予想どおり、えんえんと嘆きぶしを聞かされた。
じつは彼ら夫婦には大きな問題があった。
結婚するとき、ダンナが医師免許をとり、病院(かなり大きな病院らしかった)の後を継ぐ約束を、奥さんの親としたことは前回に書いたが、じっさいに医学部に入って勉強をするうち、ダンナはその約束とは違うことを言い出したのだという。
臨床医にはなりたくない、ましてや大病院の経営など、自分の性格を考えるとまったく不向きだ、仮にやってもうまくいくはずは絶対にない、それが分っていながらやるのは愚かなことだ、自分は将来、研究者の道へ進みたい・・・と言って、約束を履行しないことには平謝りしながらも、頑として主張を曲げないという。
で、奥さんは、夫と親の間に挟まれたわけだ。
彼女はダンナをほんとに愛しているようだったから、できることなら夫の気持ちに添いたかったかもしれない。だが親の気持ちも分かりすぎるほど分かる。
というより、奥さんの本心はやはり親と同じだったろう。夫が親との約束通りに進んでくれたら、金魚のように幸せだったにちがいない。だからこそ毎日のように喧嘩をしたのだろう。
この世には100パーセント幸せな人などいない。
第三者にはどんなに幸せそうに見えても、だれしも何かの問題をかかえて、悩みながら生きている。
この夫婦にしても、ダンナは東大の医学部で、奥さんは大きな病院のひとり娘、オシドリのように仲が良い・・・といった上べを見れば、特上の夫婦のように見える。
だが、内実は上に述べたような事情を抱えて、ひどく悩み苦しんでいた。
夫婦の間が壊れるか、親子の関係が崩れるかの瀬戸際に立って、苦悶していた。
わしも80年余り生きて多くの人間を見てきたが、まったく何も問題を抱えない人はひとりもいないように思う。
それがこの世に生まれてくる “人間の条件” なのかもしれない。
いや、先日の当ブログに書いたモウドクフキヤガエル(参照 →『命がけで恋人に会いに行く』)のことを思い返せば、生きとし生けるものすべてが同様の定めを背負っているのではないかとさえ思える。
やれやれ、しんどいこっちゃ。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。