宝塚トップ出身の女優とのツーショット(3)

ふり返るゴリラ

 驚くなかれ、わしにもあったハイティーンのころの話をしている。

 山陰の片田舎から東京の大学へ進学する希望をもち、その受験の際、ホテルや旅館ではなく郷土出身の知り合いの個人宅に泊めてもらうことになった。

 右も左も分からず、知り合いがひとりもいない大都会。不安におののきながら夜汽車で上京してきたところまで、前回までに書いた。(前回まではこちら→1⃣2⃣
 
 ともあれ、ここまで来れば、どんなに不安でも逃げる訳にはいかなかった。
 東京駅のホームに降りたわしは、まさに昼なお暗き密林へひとりで入り込むような気持ちで、大東京の中へ足を踏み入れたのである。

 東京の街中で人に道を訊くなど、ジャングルの中でゴリラの肩を叩くようなものだと前回に書いた。
 しかし意を決して一歩を踏み出してしまえば、ものごとは予想したほど難しくはないものだ。
 このときもそうだった。たいしたトラブルもなくR家へたどりつけたし、R家の人たちはみな優しかった。
 試験が終わるまでひと部屋を与えられて、1人にしておいてくれたし、試験が終わったあとは、二十代半ばのお姉さんが一日仕事を休んで、東京見物に連れ出してくれた。
 案ずるより産むが易しとは本当だと、ふだん親がよく口にしていた言葉をホッとしながら思い出したものだ。
 
 ただ、問題は最終日の東京見物にあった。
 わしはそれまで、母親・祖母以外の女性とふたりきりになったことがなかった。
 それでいて異性を強く意識する思春期のただ中である。そのうえ社交ベタのわしにとって、六,七歳年上とはいえ、若い美しい女性とふたりきりで街へ出て丸一日過すといった状況は、楽しさとか嬉しさよりも心労の方が先に立った。

 どんな話をし、どう振る舞えばいいのか。仕事を休んで案内をしてくれているのに、その相手がドン臭い田舎者なので、彼女は内心イヤなのではないか・・・などと、この年ごろ特有の青くさく過敏な自意識のみが先ばしった。

 そんな精神状態だったせいだろう、東京のどこへ連れていってもらったのか、今となってはほとんど思い出せない。

 しかし一つだけ、かなりはっきりと記憶に残っている所がある。
 日活の映画撮影所である。
 R家のご主人は医師で、どこかの病院に勤務しながら、日活撮影所の顧問医も兼務していた。
 田舎のおのぼり少年には、映画の撮影所でも見せてやれば喜ぶのではないか、と思ってくれたのにちがいない。

 当時、映画はまだ娯楽の王様だったころで、その映画の撮影現場を見せてもらえるというのは、ふつうではめったに巡りあえないチャンスだった。

 ひょっとすると銀幕スターに直接会えるかもしれない、ということもあって、さすがにわしも内心少なからず興奮して、女性と2人だけという緊張感も多少薄れたのかもしれない。かなり細かい光景まで今なお憶えている。

 撮影所内に入ると、白い壁の大きな倉庫みたいな建物がいくつか並んでいた。
 そのなかの一つで、今ある映画の撮影が行われているということで、案内の所員につれられて、大道具や資材搬入口の大扉の傍らにある小扉を開けて中へ入った。
                (続きは次回)

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