誕生日の贈り物

          お知らせ
 私は満80歳の誕生日から、このブログを始めました。
 何を血迷ったか最初のうちは “毎日更新” でした。
 が、日を経ずして、それは老犬に馬車を引かせるようなものだと気づき、原則 “週2回” の更新に改めました。

 そしてほぼ4年半。老犬はさらに老い、お読みいただいてお気づきのように、いまや足腰が弱ってヨタヨタ歩きです。
 きっぱり辞めることも考えましたが、一度始めたことに自ら白旗を掲げるのもシャクです。せめて “週1回(原則)” の更新にしてでも、もう少し歩いてみることにしました。
 この未練がましい歩きがどこまで続くか、どこでいよいよ足や腰が立たなくなってクタバルか、面白半分に見物していただければ幸いです。
                   2022年1月7日

誕生日の贈り物

 誕生日のお祝いには、なぜケーキを食べるの?
 ケーキに年の数だけローソクを立てるのは、どうして?
 点けたローソクの火をわざわざ吹き消すのは、なにか理由があるの?
 ・・・というようなことを、子供のころはずっと頭のどっかで思っていた。
 そして成人して結婚してからは・・・。
 
 夫婦を始めて半世紀余りになるけれど、その間わしらはお互いの誕生祝いをしたことがほとんどない。

 特別の考えがあってのことではない。
 相手の存在が生活の中に溶けてしまっている夫婦ふたりだけの家庭で、ケーキの上にローソクを立て、「お誕生日おめでとう!」などと言うのは何となくわざとらしいような気がしたからである。
 まあ有りていにいえば、ケーキやローソクうんうんではなく、誕生日を祝うという行為そのものが、なにか形式的で気恥ずかしいような気がしたというか・・・。子供がいればまた別だったかもしれないけれど・・・。

 ・・・というのもまあ自分や相手への口実だ。ほんとは二人とも面倒くさかったのだろう。ましてや年を経てからは、「誕生日よ、近づくな、しッしッ!」というのが本音だしねぇ。

 まあせいぜい或る日の食卓に、いつもとちょっと違った料理が出てきたので、ウン?、とカミさんの顔を見ると、「きょうはあなたの誕生日」、と曜日を訊かれたみたいに答えるのが1,2回あったていどだ。

 言うまでもないが、豪勢な花束や高価な宝石類を誕生祝いに贈るなんて話は、映画やドラマの中でしか知らない。
 冷え切った夫婦だねぇ、と思われるかもしれないけど、まあこれがわしらの平熱。ふたりとも贈り物では体温が上下しない体質なのかもしれない。
 
 昨年の暮れ、人並みに部屋の掃除をしたら、黄ばんだ新聞の切り抜きが出てきた。
 余白に、「感動的な誕生日の贈り物」とメモしてある。
 
 切り抜かれたのは2年ほど前だ。メモの字はまちがいなく自分のものだが、まるで憶えがない(昨今はもの忘れのスピードがアップしている)。で、読んでみた。
 次のような、誕生日の贈り物にまつわる記事の切り抜きだった。

 まだ若い女性(40代前半らしい)がガンになった。余命1年余と宣告された。
 夫とのあいだに娘が1人いる。まだ10歳だ。最初は黙っていたが隠しきれなくなって、事実をうち明けた。
 娘はあふれそうになる涙を必死にこらえながら尋ねた。
「2分の1成人式には出られるの?」
 母は祈るように思う。
「死ぬのは怖くない。が、もう少し死にたくない。できることならせめて娘が成人するまで・・・」

 だが現実問題としてはそれは難しかった。
 母親として娘になにか残したいが、何を残したらいいのか分からない。
 そもそも、10歳の女の子が母親を亡くするとはどういうことか、どういう気持ちになるのか分からない。
 
 彼女は専門の臨床心理士(この新聞記事を寄稿した人)の助言を得て、思いをギフトカードに託して残すことにした。
 母親が居ないことを娘がいちばん悲しく思うのはどういうタイミングだろうかと考え、そのタイミングに合わせてそれぞれにカードを書いた。
 
 間近にやってくる2分の1成人式への言葉を手始めに、娘が成人するまでの10年間の誕生日カード。加えて小学校卒業、中学入学/卒業、高校の入学/卒業、大学入学/卒業、成人式、結婚、出産・・・といった人生の節目に贈るカードを書いた。それを夫に託し、それそれのタイミングに合わせてそのつど渡してもらうことにした。
 
 二つ折りにしたカードの表紙には、おしゃれなデザインのシールを貼り、その時々に伝えるメッセージとともに、「ママはいつもあなたの味方よ」という言葉をかならず最後に書き添えた。
 
 高校卒業までのカードはすらすら書けた。だがそれ以降の人生の節目には筆が止まった。
 そのころ娘がどんなことに関心を持つか、未来にどんな夢を抱いて、どのような進路へ進もうとするのか、想像できなかったからである。
 改めて、そういう人生の節々に母親がいてやれないことに、申し訳なさと悲しさがつのって、あふれる涙を抑えられなかった。
 
 心理療法士から、「ご自分自身がその年頃にどんなことを考えていたかをつづったらどうでしよう」というアドバイスを受けて、ようやく筆が動きはじめた。
 
 そのカードを夫に託すとき、「娘の成長をいっしょに祝えなくてごめん」と謝りつつ、夫への10年分の誕生日カードもいっしょに渡した。「一気に読んでしまわないで、1年に1通ずつ読んでね」と言い添えながら・・・。夫は涙ぐみながら黙って受け取った。

 じつは一つ問題があった。娘へのカードは夫から渡してもらえばいいけれど、夫自身にはどのようにして渡すか。
 できることなら内緒にしておいてサプライズを演出したいが・・・とその手だてを考えているうちに、たまたま夫に見つかってしまったのである。
 
 体の苦痛を抑えるためには病院にいるほうがいいのだが、1日でも多く娘と日常を共にしたいと願って、彼女は療養の場を自宅に移した。そしてほぼ医者の宣告どおりにこの世を去った。
 
 わしは思った。
 このような誕生日の贈り物ならいい。花束や宝石よりはるかにいい。心に届く。
 しかしそのためには、当人が花や宝石のような心を持っていなければできないだろう。
 
 で、あんたは持ってるの? なんて訊かないで!
 

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当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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