脳梗塞の急襲!(その5)

脳梗塞の急襲!

■ 洗う

 他の病院は知らないけれど、わしが入院していた病院では、毎日体を拭く。いわゆる清拭というやつ。下着やパジャマも着替える。(前回まではこちら

 当方は寝たまま何もしない。ベッドの上に横たわっていると、勝手に衣類を脱がされ、裸にされて、看護師が熱いタオルでやさしくていねいに全身を拭いてくれる。

 作業をしてくれるのはほとんどが若い女性だ。なかには可愛い子もいる。
 ・・・といって、「ゴクラク、ゴクラク・・・」と鼻の下を伸ばしているわけではない。
 
 考えてもみて。若い女性の目の下にさらしているのは、老いさらばえた男の裸体だ。80有余年も汚れた人生を生き抜いて、魂を抜かれ、生気を使い果たしたあとの骨と皮の残滓だ。
 そんな美しさのカケラもない裸を、若い異性の目の前にさらけ出しているのである。極楽気分になれるわけがない。
 
 しかし、残滓の中にさえわずかに残っているそんな男の羞恥心も、始めのうちだけである。まいにち続けていると慣れてくる。日々のルーチンワークの一つになる。そうなって初めて、熱いタオルで体を拭かれたあとの、清拭の気持ちよさが分かる。どんな状況のなかでも小さな喜びはある。神の慈悲か。
 
 ところが入院して3,4日経ったころ、その慣れかけたルーチンに、もうひとつ風穴が開けられた。
 やってきた看護師がさりげなく言ったのである。
「きょうはオシモを洗いましょう」

「エッ、何を洗うって?」といぶかっている間に、看護師はトーモロコシの皮でも剥ぐように、わが下半身をさっさとむき出しにした。
「ハイ、少し腰を浮かせて」と腰を上げさせ、下にビニール・シート状のものを敷いた。
「ハイ、両脚を広げて・・・そうそう、もう気持ち広く・・・」と、どんどん作業を進めていく。

 何の作業かというと、要するに “股ぐら” の洗浄作業である。
 具体的にいえば、一物と肛門を中心にした、いわば男の究極的恥部エリアの洗浄である。

 人生85年、物ごころついて以来、そんなところを自分の手以外の手・・・ましてや若い異性の手で揉まれ洗われた経験はない。恥ずかしながらまったくの皆無。それだけに、そのとき内心に生じた感情の揺れ動きはなんとも言い表しようがない。
 
 その際、首をもたげて子細に事態を観察したわけじゃないから(とてもそんな余裕はなかった)そう感じただけだが、作業を行なう手ははいささかのひるみも躊躇もなく、的確に、確実に、軽快に進んでいったのである。

 問題はその作業をしているのが、まだ20代半ばあたりの若い乙女であることだった。
 それを思うと、築80余年という古屋であるうえに単純な構造をしているわしの頭は、混乱してまとまりがつかなくなった。
 往年に頭の中に取り入れた若い女性に対する大時代の観念が、かき乱されて収拾がつかなくなったのである。早くいえば情緒不安定になった。
 
 しかし時間をおいて少し考えてみれば、それほど驚くことではなかったかもしれない。
 感心すべきなのはむしろ、訓練と経験にによる人間の学びの力の大きさとと、何より慣れることによって生まれる意識の変化であろう。

 人間はどんなことでもたいていなことには慣れる。
 この慣れの力は、いい意味でも悪い意味でも、人間にそなわった隠れた巨大な能力だと思う。
 人を殺すことでさえ、戦場では心ひとつ動かさず行なえるようになるのだから。
 

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