79歳のカミさんが、女子プロレス?
カミさんは育った環境があまりよくなかった。
やや誇張していえば、拘束衣を着せられる精神病院みたいな所・・・といえば近いか。
で、子どもの頃からスポーツとはまるで縁がなかった。
運動に関係するものといえば、小中学校の体育の時間ぐらい。
それも何かと理由を付けて休むことが多かったらしい。鉄棒の尻上がりはついに最後までできなかった。
大学からは誰に遠慮することもなく、大っぴらに一切の運動から遠ざかった。手に持つものといえば箸と絵筆ぐらいのもの(彼女は美術系の大学へ進んだ)。
のちに結婚して東京都心に住んでいた頃の話。
もよりの駅の15,6段ほどの階段を上がると、彼女はいつもそこでしばらく足を止めて息をついた。
それだけ聞くと60歳前後の頃かと思うが、カミさんが27,8歳のころの話である。27,8歳といえば “ピチピチ肌” にまだうぶ毛が残っている、若さが大手を振っている頃だ。
実は、彼女はもともと心臓に少々問題があった。不整脈。父親も不整脈だったので、その血を引いたのかもしれない。
それと関係があるのかないのか分からないが、半年に一度くらい、胸に激痛が走る発作が起きた。
その時はほとんど息もつけないほどだが、数分もするとけろりと治まり、通常にもどる。
そういう心臓の発作が、年に1,2度はかならず起きていたにもかかわらず、日常生活にとくに支障を生じなかったので、医者に行くでもなく放っておいたのだから、若いときのというのは実に大胆なものだ。・・・というか実にいい加減な生き方をしていた。
それにしても、そういう状態で70歳近くまで大きな問題を起こさずに生きてきたのだから、やはり若いときの人間は強い。・・・と今になってふり返ってみて感心する、
しかし古希に手が届きそうになってようやく、そのいい加減さが仕返しを始めた。
まもなく69歳になろうとしていた初冬の寒い朝であった。
出勤者で混みはじめていた駅近くの路上で、倒れた。
優しい通勤者のひとりが、会社へ急ぐなか救急車を呼んでくれて、病院へ搬送された。もう少し遅れたら危なかったと言われた。
最初は心筋梗塞と診断されたが、のちに“たこつぼ心筋症”&“冠攣縮性狭心症”と訂正され、集中治療室に1週間近く入った。
実はその少し前、別の病院で第2ステージの食道ガンが発見されていた。
心臓の発作はどうやら、ガン発見によるストレスが原因らしかった。
心臓病の小康時を見計らってがんの手術をした。
その手術が成功し、再発の気配もないとなると、現金なもので心臓のほうも別人のようにおとなしくなった。日常生活も平穏になり、べつだん問題は起きなくなった。
そうしてさらに10年くらいが過ぎた昨年である。
カミさんはMCI(軽度認知障害)と分かって、要介護1と認定された。
近くのデイサービスセンターに週2回通うようになった。
そのデイサービスに、高齢者用のトレーニングマシンが備えてあった。
職員から使ってみることを勧められたが、言下に断った。
自分の人生でいちばん遠い存在がスポーツだった。そんな自分が80歳に近くなってから “筋トレマシーン” と取っ組み合いをやるなんて、しわくちゃ老婆が水着を着て女子プロレスのリングに上ぼるようなものだ・・・という気がした。
ところがある日、どんな風がの吹いたのかひょいと一度やってみようかと思った、という。せっかく目の前にマシーンがあって、ほとんどタダ同然に使えるのだから・・・と。
職員の指導のもとおそるおそるやってみると、自分でも驚いたがけっこう面白かった。筋トレマシーンと “取っ組み合う” ことがほとんど苦にならなかった。・・・というか快適だった。
何よりいいのは、筋トレをやるようになってから体調がよくなったことである。
思いがけないことだったが、調子の悪い日が少なくなった。買い物に出たあとの疲れが少なくなった。それまであったひどいめまいも、完全に消えたわけではないが程度が軽くなった。
・・・といわけで、今やデイサービスに行く日は欠かさずに、1時間半近く「筋トレ」をやるのが普通になった。
これはわしにとっても大きな驚きである。
人生には何が起きるか分からない。思いもしなかったことが突然現われる。
あさ目覚めてみると巨大な毒虫になっていた、という小説が世界的名作と言われるくらいだから、べつに驚くこともないのかもしれないけどね。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。