ふとんの耐えられない重さ

存在の軽さ

 若い人には絶対に分からない・・・わしの年齢(まもなく86歳になる)くらいにならないと分からない生活実感がある。
 
 ベッドの上で、体に感じるふとんの重さである。女体の重さではないヨ。
 
 わしがいま使用しているふとんは、5,6年前に新聞の全面広告でハデに売り出された、「羽根ぶとんより軽くて保温力が高い」という触れ込みの、しかしそれほど高価ではない化学繊維のふとんである。

 最初はあまり信用していなかった。が、実際に使ってみると確かに思った以上に軽くて、温かい。
 中に入るとすぐポカポカと温かくなるのも不思議だったが、信じられないくらい軽いのも驚きだった。近年のこういう技術の進歩に素直に感じ入ったものだ。
 
 軽くて温かいふとんといえば何といっても “羽根ぶとん” だが、最近は羽根ぶとんもそこら辺にゴロゴロ寝そべっているので、それほど有難みはない。しかしかつては、中国の皇帝か、日本なら華族か大富豪の寝室にしかなかった。少なくとも子供の頃のわしの頭の中にあったのは、そういうイメージだった。

 わしらのような貧しい庶民は、汗を吸ってジトジトと重い、大げさにいえば濡れ雑巾のような綿ぶとんの中で寝ていた。温かくなるまで、じっと身を固くして2,30分ほど待たねばならなかった。
 
 そういう昔ふうの綿ぶとんに長く寝ていたわしは、5,6年前に初めて件の化学繊維のふとんで寝たとき、夢のようだった。一時的に中国の皇帝になった気分だった。(もっとも寝入ったら、汚いトイレで用を足さねばならぬイヤな夢をみていたけどネ)
 
 ともあれ、ここ数年はそういう温かくて軽いふとんに寝ていたが、1,2年ほど前から少し様子が変わってきた。温かさは変わらないのだが、どうも少し重くなったように感じられる。
 特に寝返りを打つときに重い。かつては新聞紙が一枚のっているくらいの感じで寝返りが打てたのに・・・。
 
 先進の化学繊維も長く使うと汗を吸って重くなるのかと思ったが、手で持ち上げる重さは変わらない気がする。
 察するに変わったのはふとんではなく、当方の体の方であるらしい。
 体のどこかの(あるいは全身の)筋肉が年と共にジリジリと貧しくなって、結果として上に載るふとんが重く感じられるようになった可能性が高い。
 
 毎朝欠かさず30分ほど体操をし、ほぼ毎日1時間~1時間半ほど買い物を兼ねて歩く運動を続けているくらいでは、追いつかないらしい。老いる足のほうが速いようだ。
 
 話はちょっと飛ぶが、ハワイ諸島は太平洋プレートに載っていて、そのため1年に6~8センチずつ日本に近づいているという。
 ハワイの島々の動きと同じ確実さで、生きものの命も動いているることを思わせられる。生命のプロセスには何ものも抗えない感じをヒシヒシと感じる。
 
 1980年代の終りに『存在の耐えられない軽さ』という、性描写の鮮烈さで評判になった映画があった。
 だが、ただのエロ映画ではなかった。政治やセックスや友情や芸術などを通して、人が存在すること(つまり人間の生命)の虚しさを示唆する映画だと感じ、共感した記憶がある。
 
 それから数十年を経たいま、わしは毎日寝ている “ふとんの重さ” を通して、生きものの “命の虚しさ” を感じている。
 
 そのこと自体が「存在の耐えられない軽さ」を示していないか。
 
 ・・・なんてナニ格好つけてんの?・・・って笑ってやって。
 

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