いろはにほへとちりぬるぜ(上)

人間嫌い

 のっけから訳の分からんことを言うようだが、わしは “人間嫌いの人間好き” である。

 ゆえに生身の人間と、生の場で接するのは出来るだけ避けて生きてきたが、人間そのものには尽きせぬ興味があって、人間ほど面白いものはないと、常々思って眺めている人間である。

 この世にはいろんな人間が生きていて、それらの人間の吐く息や放(ひ)る屁で、芳しくない臭いがあちこちに漂っているが、聖人君子ばかりがウヨウヨいて清らかな水が満ちあふれている世界だったら、息が詰まって溺れ死ぬだろう。
 ・・・などと思うわしも、まあメンドー臭い息を吐く人間のひとりだワナ。
 
 なんども書いているが、わしら夫婦が住んでいるのは、小さなマンションである。上下左右に壁ひとつ隔てて幾つかの住居が並んでいる。

 ちなみに片隣には、わしらよりやや(5,6歳)若い老夫婦が住んでいるようである。
 ようである、というのは、ここに住み始めて3年半になるが、チラリと見た目の外観以外に、どん人間か未だによく分からんからである。
 
 物理的距離にすれば、彼らはわが家と壁1枚・・・1メートルと離れていない所に住んでいるのだけれど、100メート先の人間を見ているように顔かたちさえオボロである。お前の認知能力が衰えているせいだと言われればまあそれもあるけれど、顔をチラ見するのでさえ半年に一度ほど、ゴミ出しのさいに偶然すれ違うときだけくらいだから・・・ということもある。

 とにかく隣はいつも静かで、人が住んでいるようには思えない。何にしろ物音がまるでしないのだ。
 引っ越してきた当初の1,2ヵ月ほどは、隣は長く留守にしているのかと思った。どこかにもう一軒家があって、ふだんはそっちに住んでいるのかと・・・。もしくは老夫婦のどちらかが、あるいは両方ともが長期に入院しているのかもしれないナ・・・などと。

 ところが時おりかすかに男のしわぶきの音がする。
 ・・・ということはやはり誰かが住んでいるらしい。
 しかしそれにしては、生活音というものがまるでしないというのはどういうコトか? ・・・と、不思議で寝られなくなるほどではないけどね。
 
 人間が生活していると、どんなに気をつけていても、多少の音は出る。
 くしゃみや屁なら、出そうになってもその気になればなんとか押し込めるが、老人が得意な手が滑ってモノを落とすとか、目測を誤ってナニかにナニをぶつけたりすることは、気をつけていてもなかなか避けがたい。トイレで用を足せば水を流さないわけにはいかないし、洗濯機を回す音や電子レンジを使うときに出る音は消すことはできない。

 そういう音を生活音というが、お隣さんからは、そういう類いの音がまるでしないのである。しわぶき以外・・・。不思議に思うと妙に気になるので気にしないことにしているけど・・・。
 
 わしらは毎日買い物に出るので、イヤでも隣の玄関前を通る。
 もうだいぶ以前になるが、ある日気がついてみると、その玄関の扉の前面がへんに騒がしくなっていた。

 よく見るとドアのノブと、インターホンのボタンの上下左右に、赤マジックで大きな×印がつけてあった。
 扉の中央にある郵便ポストの投入口の周りにも、いくつもの×印が並べられている。

 それでは足りないのか、ダメ押しのようにA3型くらいの紙が貼ってあって、そこには、
「物売り・各種勧誘・宗教話・チラシ投入・その他 絶対お断り!!」と大書してある。
 
 押し売り・チラシを断る紙切れはときに見ないこともないが、ここまで丁寧・念入り・徹底して他人の近づきを拒否する表明を、玄関先にしている家も珍しい。
 ま、早くいえば隣の住人は、わしを遙かに超える激辛の人間嫌いであるらしい。
 
 当記事のタイトルに掲げたように、世の中にはイロハニオホヘトチリヌルヲ・・・といろんな人間が生きているのだから、もちろんどんな人間嫌いが隣にいてもいいんデスけどね。
 
 ついでだが、わが家から徒歩で2.3分ほどのところに、もうひとり、ちょっと変わった御仁がいる。女性だが・・・。
 次回はその人のことを軽く紹介してみる。
 

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