いろはにほへとちりぬるぜ(下)

水撒き

 日本には江戸時代から(もっと前からかもしれないけど)、家の前の道に水をまく習慣があった。

 ”打ち水” といって、特に夏の夕方の下町など、昼間太陽に照らされて熱せられた通りの道が冷やされて、辺りが目に見えて涼しくなる。
 そのうえ土埃りも立たなくなるので、気配が爽やかになる。

 夏の長い夕暮れどきを快適にすごすために、昔の庶民が生み出した知恵としてはなかなかのモンだと思う。涼しくなった道端に床几台を出して、団扇を使いながら碁や将棋を楽しんだりしたものだった。蚊やり線香を焚いたりして・・・。こんなことを書くとだいぶ年をくった人間だと分かるがね。実際くってるんだからしょうがないけど。

 だが今はその知恵もほとんど使われない。さっさと家の中に入って、窓をしめ切り、クーラーのスイッチを入れる方が早いからねぇ。
 しかし夏の夕暮れどきの過ごし方としては、打ち水に床几台のほうが遙かに情緒があるように思うのは・・・ま、わしだけか。
 
 第一、バケツに水を汲んで、柄杓で撒くのは大した作業ではない。なんの苦労もないどころか、むしろ気分が爽快になる。
 遠くで鳴きはじめたヒグラシの声を耳にしながら、柄杓の水をあたりに撒く。すると後を追うように空気が涼やかになる。クーラーの吹き出し口から出てくる冷たい風に当たっているより、風情があるように思うんだけどねぇ。
 
 しかし、ま、コスパやタイパが持てはやされ現代では、風情や情緒などより、効率や手軽さが優先されるんだろうねぇ。打ち水をする家など、拡大鏡で探しても見つからないヮ。
 
 ・・・と思っていたら、すぐそばにそんな奇特な家があった。それも歩いて2、3分ほどのところ。ほぼ近隣だ。
 
 食べ物の買い出しに出かける際、毎日その家の前を通るが、家の前の道には欠かさず打ち水がしてある。

 もっとも水桶から柄杓で・・・というわけでない。水道栓につないだゴムホースを伸ばして撒く。自分の家の前だけに念入りに水が撒かれる。
 
 おかしいのは・・・というよりちょっと不思議なのは、夏だけではなく真冬でも撒かれることだ。それも夕方ではなく昼日中から・・・。また天気の日だけでなく、雨の降っている日でも、水はきっちり丁寧に撒かれる。
 もちろんその家の前の道は、土埃りの舞う未舗装道路ではない。立派に舗装されている。
 
 何度か、その家の人が水を撒いているところに出くわしたことがある。
 70歳前の主婦らしき女性だ。家はかなりの豪邸なのだが、彼女の着ているものはかなり “なりふり構わない” 感じ。
 
 女房が行っているデイサービスの利用者に、彼女と小学生のとき同級生だった人がいて、先日たまたま彼女の話を聞いてきた。
 彼女は、いま住んでいる家の家付き娘で、親は昔から金持ちだった。辺り一帯の地所持ちらしい。
 娘時代は、最先端のおしゃれをして遊びまわる派手な女性だったが、婿をとって結婚してから様子が変わったようだ。
 
 で、今は、野暮ったい格好をした “雨が降っても水まき女” 。
 
 ま、世の中いろんな人がいて、どんな人がいてもいいんだけど、なんとなく「いろは歌」を思い出す。仮名文字を一度ずつすべて使って、重複しないように作られた七五調の例の歌・・・。
 
 いろはにほへど ちりぬるを
 わがよたれぞ つねならむ
 うゐのおくやま けふこえて
 あさきゆめみし ゑひもせず ん
 
 「生滅滅已 寂滅為楽」を意味する “安楽な悟りの境地” を詠んだ歌だというけれど、わしにはなんとなくわびしい雰囲気を撒いてる歌に聞こえる。

 そういえば前回に書いた隣家の “超人間嫌い” 人間も、昔は社交家で愛想のよい人間だったが、何かがきっかけで激辛の人間嫌いになった・・・のかもしれない。
 
 いろはにほへと ちりぬるを
 あめがふっても みずまくぜ
 ひとがきても あいもせず ん・・・てか。

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