久しぶりに街でナンパされた
人間ってサ、いくつになっても、あるいは認知症で頭が少々おかしくなっても、人には良く思われたいんだナア・・・って思わせられる話を聞いた。
ところで最近よく、「地域包括支援センター」という言葉を耳にしない?
コレ、ナニをするところか知ってる?
知らない人もけっこう多いけど、「地域包括支援センター」というのは、地域内の高齢者の権利擁護や介護予防、あるいは総合相談などの支援体制づくりに必要な援助を行う公的機関だ。
・・・なんて知ったかぶりで言っているけど、実はわしも去年、自分が脳梗塞をやるまで知らなかった。知っていていい年なんだけどサ。
で、わしの住む町にも、もちろんある。
今回紹介するのは、当地の包括支援センターが主催する集まり「ブルーベリー・カフェ」という会で聞いた話だ。
この会はひと言でいうと、日ごろ認知症患者に接する家族が、それぞれの悩みや体験などをざっくばらんに話し合う集まりである。
うちのカミさんはまだMCI(軽度認知障害)状態で、だれかに相談したいほどの悩みがあるわけじゃないが、先になっていつそうなるやも知れず、その時のために参考になるのでわしも毎回出席するようにしている。
先日、その会で次のような話をした人がいて、面白かった。
その人は80歳くらいの元大手自動車メーカーで工場長をしていた男性で(仮にAさんと呼ぶことにする)、ほぼ同年輩の奥さんが中程度の認知症になっている。
そのAさんの奥さんが独りで外出して、帰ってきたときてどこかうれしげに話したという。
商店街でナンパをされた、と。
70歳くらいの品のいい男性が、優しい態度で話しかけてきて、どこへ行くのか、行く当てがあるのか、ないならその辺で一緒にお茶でも飲まないか・・・と誘ったという。
「で、飲んだの? お茶」と訊くと、
「たまにはお茶くらいイイかなと思ったけど、知らない男の人と親しげに一緒にいるところを人に見られて、変なウワサでも立てられたらマズイでしょ。あなたが知ったら嫌な気持ちになるかもしれないし・・・」
と奥さんは、それほど嫌でもなさそうに、いやむしろウキウキした様子だったという。
Aさんは、ホントかなと思ったけど、べつに深追いすることもなさそうないので、聞き流してそのまま忘れていた。
それから2,3週間ほどして選挙に出かけたときに、しばらく会わなかった知人と出会って立ち話をした。
そのときその知人(仮にBさんとしよう)がAさんの奥さんの様子を尋ねた。
彼もAさんの奥さんとは顔見知りの間柄で、認知症を患っていることも知っているはずだったので、あるがままに、少しずつ症状は進んでいるという話をした。選挙で投票することがどういうことか、もはや分からなくなったと・・・。
するとBさんは、しばらく前に商店街でAさんの奥さんを見かけたと言った。どうやら道に迷って困っている風だったので、話しかけたという。
するとAさんの奥さんは、それまでの心細そうな様子からしゃんと立ち直ったようになり、当たり障りのない応答をしたが、明らかにBさんが誰か分かっていないようだったと話した。
Aさんはピンときた。念のためその時お茶に誘ったかと訊いてみると、お茶は誘わなかったけれど、家まで送っていこうかと言うと、丁寧な口調で断ったという。それ以上は失礼だと思ってそのまま別れたが、ぶじに帰宅できたかどうか気になっていたと・・・。
その話を通して、Aさんは認知症について・・・というより人間について、また新たな知識を得たように思ったと話した。
脳細胞の欠損によって、人間を人間たらしめている認知能力の一部を失っても、人間の最も人間くさい部分の感情は、根強く残るのだなあ~と。
道で出会ったBさんが誰か思い出せないことも、いま自分が道に迷って困っていることも隠しておきたいという感情が、彼女に働いていたのは確かだ。
人間として恥になることはできるだけ人に見せたくないという気持ちは、人間の最も人間らしい心の動きだろう。
もっと面白いのは、道を迷って困っているところを心配して声を掛けられたという事実が、家に帰って家族に話すときには、品に良い男性に “ナンパされた” という話に変っていたことである。
見栄から嘘をついているということはもちろん考えられる。
そんな嘘は簡単に見透かされるという判断ができなくなっているところが、認知症の影響だと見ることができる。
だが外出から帰ってきたときに、隠しても破れ目からニジミ出るように嬉しそうにしていた妻の顔を思い出すと、嘘を言っているのではなく、当人のなかで本当にナンパされた経験にすり替わっていたのではないか、とAさんには思えたという。
素敵な男性からナンパされるということは、たとえ80歳に近い年齢になっても、女性にとってはやはり嬉しく晴れがましいと思えることなのであろう。
認知症になり、心を束ねてコントロールする力が緩くなっている隙間を狙って、そういう、人間のいちばん根元にある感情が忍び込んでくるところに、病気になっても生きようとする力がまだまだ残っているようで、Aさんは何となく明るい気持ちになったそうだ。
人間というのはしぶとい。
Aさんが明るい気持ちになったというのも、その人間のしぶとさがまだ妻に残っていることが嬉しかったのであろう。なんとなく分かる気がする。
人間は弱いけれどしぶとい
自分自身を誤魔化してでも生きようとする程しぶとい。
ま、わしらもせいぜいしぶとく生きようと思う。
・・・っていうだけで、そんなしぶとい人間じゃないのは知ってるんだけどね。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。
あー面白かった。でもちょっと悲しい気分もある。
確かに人間って、ある意味悲しい生き物ですよね。
人間以外の動物はもっと単純に生きているらしいから、
私はときどき別の動物に生まれれば良かった・・・
と思うときがあります。
・・・といっても、モルモットなんかに生まれて、実験の
ために切り刻まれるのはごめんですけど・・・。(ボケじじィ)