色鮮やかな袈裟をまとった僧侶

西村宏堂

 この人はどういう人かよく分からんな、と思うことがときどきある。

 わしにとってそういう人物のひとりに、ほとんど毎日のようにテレビで顔を見る林修という人がいる。
「いつやるの? 今でしょ!」
 と叫んでとつぜん世の中に出てきたテレビタレント。
 本業は予備校の講師だそうだから、イルカが海から陸に上がってきてモダンバレーを踊って稼ぎまくっている・・・ような男といった風にわしには思える。
 
 この林修がやっている番組の一つに「初耳学」というのがある。
 一種のインタビュー番組だが、礼儀正しい口ぶりながら、訊きにくいこともヌケヌケと訊くので、他の類似の番組にない面白さがあって、わしはちょくちょく覘く。
 
 先日、この番組でわしが初めて見る顔に出会った。
 西村宏堂というお坊さんである。

 都内に400年以上続く浄土宗のお寺の副住職だそうだが、何より驚いたのは彼の出で立ちである。
 袈裟というか身につけている衣装、そして髪型や髪の色がお坊さんというにしては見るも色鮮やかなのだ。
 鮮やかさで孔雀に負けないばかりでなく、色や形のセンスがピーコックを遙かに超えている。
 といっても、いつの時代にも街にコバエのように出てくる、奇抜な恰好をしたチンピラ風若者とは違う。
 
 それもそのはずで、彼は僧侶であると同時に、名の知れたハリウッドスターも手がけたことのあるメイクアップ・アーティストでもあるという。

 ともあれ彼は、一般人の “仏僧” のイメージをコナゴナにぶち壊している。・・・と言えばちょっと “物騒” なイメージだが、世にいう “ブッソー” な感じではない。
 
 彼はいわゆる性的マイノリティの人間だという。
 若い頃は、そのことで相当に悩み苦しんだ時期があったそうだ。
 元々出来が良い頭を、この時期に深く密に使い、思索を練り込んだのであろうか、30代半ばという年齢にしては、人間としての貫禄にかなりの味を加えており、口にする言葉にも成熟した内容があるように思える。
 
 そんな彼が、先日林修のインタビューで口にしたなかに、ひとつ耳に残った言葉があった。

≪人間に自信のあるなしは極めて重要だが、その自信には2つの側面がある。
 一つは、自分には “これこれの事が出来る” という自信。
 もう一つは、”自分を知っている” ということ≫

 一つめの自信は誰でも思うことであろう。
 しかし二つめの自信はちょっと意表を突かれた。いい年をしてふだん深く考えたことがなかった。

 しかしそこは年の功で、言われればすぐにピンと来た。
 まさにその通りだ。・・・とぼんやり歩いていて、足元の穴を若い人に指摘されたような気がした。

 たしかに、自分自身のことを一面的ではなく、プラス面もマイナス面も含めて総合的に、しかも客観的に掴んでいれば、これほど強いことはない。

 人生で出会うあらゆゆる局面において、どう対応するのが良いか、慌てたり不安に駆られることなく、自信をもって当たることができる。その場面を予期しなかった突然の出来事であっても・・・だ。いわゆる “敵を知り己を知らば・・・” である。
 
 ・・・だけではない。自分をよく知っていれば、これまでの経験の中になかったことでも、今なら、この局面でなら、現在の自分の全力をつくして当たればひょっとするとクリアできるかもしれない・・・と思える可能性も生まれてくる。

 それでうまく行けばよりいっそう自信がつくし、失敗してもそこから何かを学べるだろう。
 
 いやあ、人間はいくつになっても学びはあるねぇ。
 ・・・といってもそれはチコちゃんじゃないけど、ぼうっと生きてきたワタシの話ではアリマスけど・・・。
 

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