人間に絡む見えない糸

ベンチ

 今はまだ夏の盛りだけど、季節が移って秋が来ると、日に日に光が弱くなって、昼の時間も短くなっていく。
 
 わしの年齢ぐらいまで生きた人間は、言うなら、そうした秋の日の残照のなかに佇んで、暮れてゆく風景をぼうっと眺めているようなものである。

 そのような生活は、さぞ色褪せて変化のない時間の連続だろうと思われるかもしれないが、そして実際99パーセントはその通りだが、静かな湖面に気まぐれに吹く風に小波が立つように、ときたま小さく驚くようなことがないわけではない。
 そんな小波の上に立ったもう一つ小さな小波のような驚きに、このあいだ偶然出会った。

 だが事柄が小さな割には、わしの心に起きた動きはけっこう大きかった。
 風が強く水面が荒れているときは、一部にさざ波が立っても誰も気に留めないけれど、鏡のように静かな湖面に小波が立つと、目に止まるようなものかもしれない。
 
 なんども書いているが、わしらはほぼ毎日食料の買い出しに出かける。年は取っても食べないわけにはいかないし、足は使わないとすぐ枯れ枝のようになって使い物にならなくなるからねぇ。
 
 いつも行くスーパーは、田舎町のことで広い敷地を持っている。街中のスーパーと違って、店の前には車のパーキングエリアも兼ねているが、広々とした空間が広がっている。あちこちに雑草なども生えている。
 
 そんな空間の一隅に、一脚のベンチが置いてある。横長の、ありふれた白ペンキ塗りのベンチである。
 体調のわるい日は、カミさんが店内で買い物をしている間、わしはこのベンチに腰を下ろして休む。

 カミさんはわしより6歳若い。70代あたりまでは年齢差を感じなかったが、80を超えてこの年(86歳)になると、6歳差は体力的にかなり違いが出る。
 その日も、店内の買い物に付き合うのは御免こうむって、わしはこのベンチに腰を下ろした。

 先客がひとりいた。かなり老齢の女性であった。
 年齢だけではない。暮らしの有りようというか、生活の内容もソートーに老いの荒廃が進んでいるような様子だった。
 身につけている物は汚れていて、・・・だけではなくぞろっぺいな着方で、身の回りへの女性らしい気配りなど失われている。
 
 正直いうとわしはベンチに座るのをちょっとためらった。
 が、足は疲れていたし、他に座る所はないので、反対側の端に腰を下ろした。
 できるだけ離れて座ったのは、あまり嗅ぎたくないニオイを鼻にしたくないと思ったからだ。
 
 彼女はベンチの背凭れにだらしなく上半身をあずけて、前方の空に浮かんでいる白い雲のほうへ、ぼんやり目を向けていた。
 
 わしはスマホを取り出してYahoo!ニュースの画面を出し、何か面白そうなニュースはないかと画面に指を滑らせていた。大谷翔平が新しいホームランを打ってないかも気になった。
 
 どのくらいしてからだろう。せいぜい数分だったと思うが、とつぜん澄んだ美しい声が近くから流れてきた。
 驚いて声のするほうを見ると、ベンチの反対側に座っている例の老女であった。
 まるで周囲のことは一切気にならない様子で、小さな子供のように歌を口ずさんでいた。
 
 わしは目を疑った。ほかに誰かいるのでは・・・と反射的に辺りを見回した。
 誰もいなかった。
 何より口を動かしている人が目の前にいるのだ。
 そしてその人の口から、思わず引き込まれるような美しい音色の歌声が出ているのだった。
 しかもそれを出しているのが、全身から老残・・・というか老廃の色を濃く漂わせた老女なのであった。
 
 わしは失礼になるのも忘れて、しばらく、彼女の姿を呆然と見つめた、
 彼女はやはりベンチの背凭れから体をあずけ、目を前方の白い雲のほうへやったまま、唄っていた。
 
 わしの存在など完全に無いようであった。まるで空の雲の中に隠れている何かに聴かせているように、無心に唄っている風だった。
 
 このときわしの受けたショック・・・というか一種の衝撃はけっこう強烈だった。その後しばらく頭から離れなかった。
 それは “人は見かけによらない” とか “人を外見で判断してはいけない” とかいうような思いではない。
 人間のなかに隠されている目に見えない “人生の糸” のようなものが、しつこく頭の芯に絡みついて離れなかったのである。
 
 そのとき彼女が歌っていたのは、演歌でも童謡でもなかった。どこかで聴いたことはあるようだけれど、あまりポピュラーなもものではなかった。
 ひょっとすると彼女は、長くオペラを歌うことを職業にしていて、かつてはその道では名を知られていた人だったのかもしれない。
 ・・・そんな想像が浮かんだ。
 
 もうひとつ頭に浮かんだものがあった。
 それは、”人間は棺を蓋いて事定まる” という古い格言があるが、ほんとに人間というのは、完全に息をひきとるまでどうなるか分からないものだなァ~、という、何かしら非情な切ない思いであった。
 
 自分自身は常々、最後は野垂れ死にでもいいと思っているのだけれど・・・。
 

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