人生が二度あれば

 かつて吉川幸次郎という学者がいた。共著をふくめると著書が優に100冊を超える中国文学の大家で、わしが若い頃はしょっちゅう新聞や雑誌でその名を目にしたものだ。

 その偉い先生が晩年に言っていたという。

ろうまさに知らんとしてもうこれに及ぶ」(老将知而耄及之)

 これは『春秋左氏伝』という難しげな中国の古典に書かれている言葉だそうで、「年をとればその経験が人間を賢くするが、そのときには耄碌(もうろく)が追いつく」といった意味であるいう。

 ちなみに漢和辞典で調べてみると、「耄碌」の「耄」という字は「年をとって頭やからだの働きが鈍くなること。老いぼれること」とあり、「碌」は「平凡で役に立たぬさま」とある。
 
 吉川先生は、左伝のこの語句を引いて、「これはいま私の身に最もしみる言葉だ。資料・知識は若い頃よりも知っている。しかしそれを論文に仕立てる気力がだんだんダメになっている」と嘆いておられる。  

 吉川大先生に比べるべくもないが(つまり人間の器の大小やレベルの高低とは関係なく)わしもこの言葉は身にしみる。
 
 80年も生きていれば、どんなバカでも多少の知恵が身につく。ケンカをして女房が部屋から出ていくとき、扉の閉め方ひとつでどのていど機嫌を損ねたか、誤差1ミリの範囲内で分かる。

 それがどうした。そんなことはどうでもいい?
 そりゃそうだ。じゃ、もうちょい大きな例をあげようか。
 結婚するとき、”三高” などといった見かけではなく、どこに目をつけて相手を選べば真に幸せな結婚生活が送れるか・・・ということが、実際に50年も結婚していれば、手に取ってジロジロ見るように分かる。

 あるいは学窓を出て実社会に入るときも同じ。
 どの職業を選ぶか、どの会社の門をたたくかを決めるとき、その企業が有名かどうか、大きいか小さいか、給料が高いか低いか、美人社員が多いかどうか・・・などで選ぶと、その後の人生は不幸を見る。
 ということが、現実に実社会を経験してみるとよ~く分かる。

 しかし分かったところで “時すでに遅し” だ。そういう経験や知見を活かすだけの時間がもはやない。もう1回 2,30代に戻って就職や結婚をやり直せる、というのなら話は別だけどね。人生は意地が悪い。
 
 シンガーソングライターの井上陽水に、『人生が二度あれば』という曲がある。正直にいうとわしはこの曲を涙なしには聴けない。
 子供の眼に映る年老いた親を見て、人生を二度やれるものならこの親たちにもう一度人生をやらせてあげたい、できることなら別の人生を・・・と歌っている。

 子供の眼にそう映るだけでなく、実は当の老いた親こそ、心の中で強くそう想っている。
 「ああ、人生が二度あればなあ・・・」と。

ポチッとしてもらえると、張り合いが出て、老骨にムチ打てるよ

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人生が二度あれば” に対して 2 件のコメントがあります

  1. むらさき より:

    人生が2度あれば、次の人生では必死で勉強して、お金持ちになる人と出会って結婚して、お手伝いさんを雇って、毎日エステに行って、毎日ステーキ食べて、運転手さん付きの車に乗って、バカでっかいテレビみて・・・

    いや、やはり、今の旦那とボロ着て、貧乏生活でええか・・・こっちが楽でええわ・・・
    結局 わたしゃ2度あっても 同じか・・・バカのまま・・・(笑)

    1. Hanboke-jiji より:

      誰でもむらさきさんと同じように考えるんだろうなあ。
      わしもその一人。特に「毎日高級ステーキを食べて」「バカでっかいテレビみて」
      というところで針がググーッと振れたな。
      でも人生が二度あれば、わしはやはり別の人生を送りたいなァ。
      今生があんまりひどかったから。

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