ひき蛙とのトーク
もう何年か前になるが、テレビである国際弁護士が話していた言葉が印象的で、いまだに忘れない。
こういう話だった。
「外国でも日本でも私が扱う事件には、土地に関わる争いごとが多い。隣家が境界線より数センチこっちへ侵犯している・いやしてないという争いだ。
時によるとそれが元で刃傷沙汰や殺人事件にまで及ぶこともある。それが国のレベルになると戦争になる。
しかし、人間同士が勝手に血眼になって争っているけれど、その土地にずっと前から住んでいる動物や植物の意見を聞いたことがあるのか?」
なるほどなあと思ったよ。
いうまでもないが、地球は人類の専有物ではない。
この地球上には、現在、科学的に明らかにされた生物種だけで約8千7百万種存在するそうだ。UNEP(国連環境計画)によると、未認定生物を含めれば1億1千百万種が棲息している、と推計されているという。(推計なので上下に大きな幅があり、この数値は上のほうのもの)
この膨大な数の生きものたちも、もちろんこの地球に生きる権利を持っている。地球の生命としてはみな平等のはずだ。客観的事実でいえば人間はその中の単なる1種にすぎない。
その1億1千百万分の1である人間が、まるで私物のように地球を扱い、勝手に線引きをして占有権を主張し、境界を争って人と人が争い、国と国が殺戮をくり返している。
その結果自分たちが死んだり不幸になったりするのは自業自得だけれど、地球を傷つけ、他の生物を巻き添えにしているのだ。そのことに目を向けることさえしない。
1億1千百万分の1が、おのれの利害や利便さを求めて地殻を乱掘し、森林を伐採し、土壌や河川や海を汚染して、その結果、何千何百万種という他の生きものが生きる場所を奪われ、絶滅の危機に追いやられている。
ちなみに総務省統計局によると、日本の総人口は2016年(平成28年)10月1日時点の確定値で、127,094,745人(1億2千7百万人余)である。
この数は地球の全生物種数(1億1千百万)に近い。
つまり人間が地球に対して行なっていることは、たった1人の日本人が自分ひとりの都合のために、他の日本人ぜんぶを無視して好き勝手をやっているようなものだ。
考えるだけで身震いが出る。オシッコまで出そうだ。
*
数日前のことである。春が近いことを思わせる暖かい日だった。
庭にヒキガエルが出ていた。
春先から秋にかけて、ときおり庭先に姿を現わす。おそらく先祖はこの家が建つ前からここに住んでいたのだろう。いわばわが家の先住民様だ。
人間はこの生きものを、ヒキとかガマとかイボガエル・・・はまだしも、ひどい人になるとクソガエルなどと呼んで蔑むが、私はこの生きものが嫌いではない。
・・・というか実は積極的に好意を持っている。
できることなら度々ランデブーしたいのだが、ごくたまにしかお出ましにならない。残念だ。曇り日の木の下闇に現れることが多いので、うっかり踏みつけやしないかと心配だ。
確かに一見するとグロテスクな容貌をしている。しかし近くに寄ってよく見ると、こよなく優しい目をしている。
動作もおっとりとしている。どこかの種のように勝手な自己主張などしない。移動するにしても、何かを求めてせかせか歩いたりしない。数十秒かけて一歩・・・といった感じで、ゆったりと歩を進める。
近くに寄っても逃げたり歯向かったりしないので、ゆっくりと視線を送りあってスイート・トークを楽しめる。
しかし、たいていはじっとしている。そして半眼に開いた目で、世の中を静かに眺めている。
眠そうにも見えるが、大きな頭のなかに深遠なる思想をたゆたわせながら、人智のおよばぬ哲学をしているようにも見える。
どちらにしろ悠々せまらぬ大人(たいじん)の風格だ。小人の私にはそこが魅力だ。
この日のランデブーは、先に記した何年か前の弁護士の話を思い出してしまい、トークはのっけから謝罪モードになった。
「われわれ人間は、あんたたちの都合も考えずに勝手なことばかりして、済まないねえ」
「・・・・・」
「この土地にしても、昔からあんたたちが住んでたんだろ。それを同意も得ずに勝手にコンクリートの家など建ててしまって、窮屈な思いをさせているんだろうねえ」
「・・・・・」
「申し訳ないねえ」
聞こえたのか聞こえなかったのか、ひき蛙は微動だにせず、やはり半眼に開いた目でじっと前方を見つめていた。
いやあ、かなわないよ。