80代の今が最高

老若犬

 何年か前までメールマガジンをかなりの数、取っていた。定期的に配信されるいわゆる「メルマガ」である。
 有料のもあるが無料のものも多くあり、けっこう教えられるところがあって、日ごろ生きづらくなる一方の当方としては、いろいろと参考にさせてもらっていた。
 
 ところが近年・・・特に脳梗塞をやり、首の骨を折って全身麻痺になりソコネてからこっちは、だんだん目を通すのが面倒くさくなった。今やほんの2,3通の配信を残しているだけになっている。情けないが・・・。
 
 そのうちの一通が、先日、ある本を紹介してこんなことを書いていた。
 ちなみに本の著者もメルマガの筆者も、共に高齢の女性である。
 
 紹介されている本の著者は、
「80代の今が、人生最高!」
 と言っているらしい。
 子育てを終えたあと人生のやり残しに気づいて、60歳を過ぎてから、若い頃からの夢だったギャラリーを始めたら、そこから人生が花開いた、という。
「現在82歳ですが、第二の人生のスタートは60歳を過ぎてからでしたので、今ようやく成人して、人生の花が開いたと感じています」
 
 メルマガの筆者は、この本の著者よりやや齢は下らしいが、
「なんと勇気をもらえる言葉でしょう!」
 と絶賛し、その生き方に大賛同していた。
 
 わしも84歳半ばで脳梗塞に倒れるまでは、こうした言葉に触れると、元気づけられたものだった。
「まだまだ大丈夫だぞ。80代が最高なら、わしだってこれから人生の花を咲かせる可能性がある」なんて、一時的なカラ元気でもそう思えた。・・・と思う。
 ところがさっきも書いたように、脳梗塞や首の骨以降はそういうカラ元気さえ出なくなった。

「これはマズイぞ!」とわしは思った。
「同じ生きているなら、萎れた思いで生きているより、やせ我慢でもイキイキ元気に生きているほうが楽しいではないか。首うなだれてショボショボ息してるだけなんて、オモシロクない」
 と、しなびた花に水をやるようにわが尻を叩くのだが、所詮、寿命がきて枯れだした木は元に戻らない。

 生きものの一生には幾つかの段階・・・ステージがある。
 わしも初期のステージには、放っておいても野っぱらを駈けまわったり、意味なく木によじ登ったり、必要もないのに屋根の上や高い塀の上を歩き廻ったりした。
 中期ステージには、二,三日仕事で徹夜しても、そのあと一回八時間眠れば回復した。
 ところが現在・・・つまり最後期ステージに入ると、近くのスーパーに行くのでさえヨタヨタ・ヨロヨロして、人の3倍時間がかかる。一日じゅう倦怠感がその辺にウロウロついていて、何をするのもオックーだ。
 いかにもショボクレていて見たくない姿である。

 しかし、これは生きものの宿命だろう。リードをつけて散歩している犬だって、若いのと老いた犬では歩き方がまるで違う。年とったのは見るからにヘロヨロしている。6月には若き女王のごとく辺りを睥睨していた紫陽花も、いまは目を覆いたくなるような老残をさらしている。
 それは生きもの全てがたどる道で、どうにも致し方がないではゴザルマイか。
 
 だが、それでは、冒頭に紹介した元気な高齢女性の話はどう説明するのか。
 そりゃあ・・・まあ・・・男と女では違う・・・と思う。新しい命を世に産み出す女性は、そもそも元から構造のデキが違う・・・のではないか。
 
 ・・・なんて根拠のない身勝手な理屈を言っているが、要するにわしは近ごろ、残念ながら生きる気力と言うか、ハキがまるで出ないノデアリマス。早い話、泣きごとを言っているノデアリマス、へい。

 結局、生きものは、階段を昇ったら降り以外にないノデアリマス・・・。
 

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当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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