憎まれ口

ここところ当ブログは、老いの愚痴めいた内容のものが多い。
つい数回前にも記したが、「認知症の妻を抱えた90歳近い一老人の、あるがままの生活実態を述べる」というのが最近の当ブログの基本にしているので、ついグチになってしまう。
老人生活の実態って、スキップしたくなるような、ワクワクするような楽しいことはそうない。・・・というかホントいうと皆無。
それにしても、グチめいたものボヤキっぽいものというのは、いくらそれが現実であっても、いや現実であるからこそ、書いている当人にとってもあまり気分良いものではない。何となくヤナものが腹の底に残るなァ・・・なんてどこかで思っていたら、次のようなことを言っている人物に出会った。
某雑誌の最近号で、評論家・著述家の樋口恵子さんと、小説家の黒井千次さんが誌上で手紙のやりとりをしていた。
二人とも93歳で、しかもかつては同じ小学校の同級生だったという。
同じ小学校のクラスメイトで共に作家となり、それだけでなく二人とも今なお健在で仕事をしているというのは珍しいので、二人を対談させようと企画は、いかにも雑誌編集者らしい目の付けどころだろう。
でも彼らの歳で外出させるのは当人たちの負担が大きいし、怪我でもされたら編集者の責任にも及ぶ。で、誌上だけの対談(手紙のやりとり)にしたのに相違ない。
その誌上対談で、黒井千次氏がこんなことを話していたのである。
「 “老い” は敵ではない。“憎まれ口を言い合う友のようなもの” である」と。
なるほどなァ~、とわしは思った。
“憎まれ口を言い合う友人” ねぇ。
さすが93年も人間やってきた作家だけある。ウマイこと言う。
いろいろヤナことを引き起こしているのは、ダレあろう年をとった自分自身だ。いくらアッカンベーして蹴とばてやりたくても、相手がテメエ自身では所詮不可能だ。
いうならクサレ縁。生まれた瞬間からいっしょにいる相棒。敵ではない。
そんな相棒も、つぎつぎ不都合なことを引き起こすと、文句のひとつも言いたくなる。いやムチャクチャ言ってやりたい。
で、“老い” は敵ではない、“憎まれ口を言い合う友のようなモノ”
というのは、現在のわしの気持ちにぴったりなのである。
腹の底のヤナものが消えた・・・わけデス、はい。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。