蝶が飛んできた日

昔の手洗い洗濯

 わしの幼少期は昭和10年代後半である。
 母は結婚後も仕事を辞めず、土曜午後と日曜しか昼は家にいなかった。
 日々の家事は祖母がやっていた。ただ、洗濯はさすがに老体にはこたえた.のだろう、休みの日にまとめて母がやった。

 家族は8人。
 うち5人はケダモノみたいに野山を走りまわる子供たちだったから、1週間に出る洗濯ものはハンパではなかった。
 たらいの中には洗濯板(→冒頭の画像参照)を入れて、その上でひたすら汚れものを手で板にこすりつけたり、もんだりして洗うのである。

 その日は暖かい季節の、天気のよい日だった。
 その頃わしは小学校へあがる前で、まだ母親に甘えたい年頃だった。
 だが週日は母はほとんど家にいない。それだけに丸1日家にいる日曜日はうれしかった。できるだけ母にまとわりついていたかった。

 でも、休日がくると母は朝から洗濯ものの相手ばかりしている。
 虫の居所がわるいと、「汚れた水がかかるからもっと離れていなさい」と叱られる。

 そんな休日の1日だったのだと思う。
 母は庭に出て洗濯をしており、わしはその母親の背後で地べたにペタリと座りこんでいた。
 そして、何とはない欲求不満の気分を抱えながら、たらいに向かう母親の背をぼんやり眺めていた。その辺に落ちていた枯れ枝を拾い上げて、母の背をたたくように振りまわしながら。

 そうしているうち、ふいにどこからか一匹の蝶が飛んできた。そして母の頭のうえを舞いはじめた。
 あまり大きくない白っぽい蝶で、どこといって特徴的なところはなかった。ただふつうと違ったのは、母の頭の上からいつまでも離れなかったことである。

 蝶はふつう人にはあまり近づかないし、たまたま近づくことがあってもすぐに離れていく。
 ところがそのときの蝶は、母の頭のうえ1メートルくらいのところを、いつまでもヒラヒラ、ヒラヒラと飛び回り続けたのである。

 子供ごころにもそのことをちょっとふしぎに感じたわしは、気をひかれてその蝶をずっと注視していた。

 それもかなり長い時間で、しびれを切らして、頭のうえを蝶が飛んでいることを母親に知らせようと口を開きかけたとたん、母がひょいと振り返った。そして体をねじったまま、無言でしばらくわしを見つめた。
 と、ふいに立ち上がって近づいてくると、わしを地べたから抱き上げてぎゅっと抱きしめた。
 母の着ていた割烹着の前がぬれていて、それが冷たかった感覚がいまも残っている。

 何十年ぶりかでこの情景を思い出して、なんとなくこんなことを思う。

 じつは母は事情があって、生まれてまもなく産みの母親から引き離され、その産みの母親は数年後に亡くなった。

 あのとき庭で洗濯する母の頭のうえに飛んできた蝶は、ひょっとすると、その引き離されて亡くなった産みの母親だったのではないか・・・というような想像がふと浮かんだのである。

 育ての親がどんなに良くしてくれても、実の母親に育てられなかった子供の心に忍びこむある種の孤独感。
 それは、母親といつも距離をおかれていた幼児のわしが持っていた孤独感と、どこか通じるものがあるような気がする。

 母は、自分が幼女のころに味わったのと同じ悲しみを、われ知らず自分の子にも与えていた。
 そのことを気づかせるために、母親の母親、つまり母の産みの親が蝶となってやってきたのではないか。・・・

 そんな浮世ばなれしたフェアリー話めいたことを、夢かまぼろしのようにぼんやりと思ったりしたのは、わしもいよいよあの世が近くなったせいなのかもしれない。

〔この記事と書いてからおよそ半年後の2019年4月11日の朝日新聞に、生物学者・福岡伸一氏のこんな文章が掲載された。一部を抜粋引用する。
「-(前略)- 動物行動学者の故・日高敏隆さんからこんな説を聞いたことがある。蝶の幼虫は常世の虫と呼ばれ、この世とあの世をつなぐものとして大切にされた。そして蝶の劇的な変身ぶりは、死者の化身と考えられたのかもしれない。そう思って万葉集を読むと、歌の詠者は死者の気配を至るところに感じている。-(後略)-」
 浅学菲才で、こんな説のあることなどまるで知らなかったわしが、当記事に同じようなことを思い、書いたことにある種の不思議を感じる。2019.04.11記す〕

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