夜にふくろうが鳴く
長生きすると、思ってもみなかったものに出会う。
・・・なんてっても、ほんのちっちゃなことなんだけどね。
「猫カフェ」というのがあるのは前から知っていたが、最近は「ふくろうカフェ」というのもあって、若い女性に人気だという。先日テレビで紹介されてるのを見て知った。
つまり今の若い女性にとってふくろうは、文鳥やインコのように愛玩される鳥ということらしい。
しかし、わしがふくろうと聞いてまず思い浮かべるのは、あの独特のぶきみな鳴き声だ。鳴くのはたいてい夜で、こわい野生の鳥の声という印象である。
だからふくろうを手や肩に乗せて愛玩するというのは、わしにとってはヘビやムカデに頬ずりするような感覚に近い。あんまりゾッとしない。
わしが6歳まで育ったのは、山陰の小さな城下町だった。
周囲を穏やかな山並みにかこまれ、神社わきから160段ほど石段をのぼった山の頂きに城跡があって、そこから一帯の盆地が一望できた。
こじんまりとした古い町並みのむこうは水田が広がり、初夏の青田、秋の黄金田、冬の雪原と、それぞれに一幅の絵だった。
また、城跡近くの松の木の頂きにコウノトリが営巣していて、そこへ親鳥が大きな翼をひろげて舞い降りてくる。
その姿をすぐ目と鼻の先に見ることができた。四季さまざまの盆地を背景にした夢のようなその光景は、幼児のこころにも深く刻まれたとみえて、80を超える老爺になった今でも鮮やかによみがえる。
当時わしたち家族が住んでいた家は城山のふもと近くにあり、すぐ裏に、町の名を冠した川が流れていた。川幅3,40メートルほどの二級河川だが、水は清く、夏がくると付近の子どもらの遊び場だった。
川のすぐ向こうには山がせまっていた。城山につながる山だが、川岸からすぐ急峻な斜面が立ち上がっていて、うっそうとした樹木におおわれていた。子どもの目には人跡未踏の密林に見えた。
その密林のなかにふくろうが棲んでいた。森の主・・・といった感じで。
わしの家は当時8人家族だった。
今から思えば大家族だが、それでもごくごくたまに(1年に1~2回くらい)、夕食後、家に弟とわし以外だれもいなくなることがあった。
もちろんテレビなどない頃だ。ラジオはあったが、子どもの手の届かないタンスの上に置かれていた。そもそもラジオを楽しむ年齢には早かった。今夜は早く寝なさい、と早ばやと敷かれたふとんの中に入っていても、なかなか寝付かれない。早い話、家にだれも大人のいない夜が怖かったのである。
弟はわしより3つ下で、頼りにすることはできない。むしろ何かあったときには守ってやらねばならない立場で、それがいっそう夜の恐怖をつよくした。
当時の田舎町の夜はほんとに静かだった。そして暗かった。
電灯を消すと部屋のなかは真の闇だ。ふとんのなかで身を硬くしてちぢこまり、じっとしていると目はいよいよ冴えた。
そんなときよく、川むこうの “密林” で鳴くふくろうの声が聞こえた。
ボー、ボー。ボー、ボー。
それは地の底から湧き出てくるように低く、しめっぽく、なにかしら陰陰滅滅としたものを含んでいた。すくなくとも子どものわしにはそう聞こえた。
手で耳をおおいたいくらいだったが、一方でけんめいに耳をそばだててもいた。
夜の闇のなかに人の足音を探したのである。
つまりだれか家の者が帰ってくるのを待っていたのだ。
ふと、遠くからかすかに下駄か靴の音が聞こえはじめる。
家族の誰かが帰ってきたのかもしれない・・・と思い全身を耳にする。
足音はだんだん近づいてくる。家の前で音がとまり、玄関の戸が開いて・・・と思いきや、そのまま家の前を通りすぎて、また遠ざかっていく。
・・・とかならず、それまで聞こえていなかったふくろうの鳴き声が聞こえてきた。
ボー、ボー。ボー、ボー。
闇の底へ引きずりこまれるような鳴き声。
怖かった。
だがそのふくろうを、いまは若い女の子が胸に抱いて頭をなでてやる。
長生きすると思いがけないものを見る。
・・・だからってどうってわけでもないけどね。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。