年寄り笑うな 行く道じゃ
まだ若かった頃・・・といっても50代半ばくらいだったけどね、道でときどきひとりの目をひく老人に出会った。
その老人はいつも正式の・・・というか一人前のランニング装束(?)で走っていた。
その頃はまだそれほど走ることが流行っている訳ではなかったから、今みたいに猫も杓子も割り箸も・・・ってほど公道を走るひとは多くはなかったからだろうか、毎日欠かさず走っている(らしい)その老人は、けっこう目立った。
しかしじつは彼が目立ったのは、その一人前の出で立ちに反して走り方がいかにも老人臭かったからでもある。
背は丸く、肩は崩れ、腰は落ち、腰の左右で振られている腕はいまにもとろけて地面に落ちそうだった。そして何より速度が遅い。そのうえフラフラしている。ぺんぎんが酔っぱらって走ってる感じ。ちょっとオーバーに言ったけどね。
話がちょっとそれるが、かつてわしが働いていた職場に、動作がのろくて仕事の遅い同僚がいた。陰で「ダラダラッシー」もしくは縮めて「ダラッシー」などと呼ばれていた(イギリスのネッシーが話題だった頃だったの)。
で、くだんの老人もそんな感じでだらだらしィペースで走っていた。まるでやる気がないように見えた。やる気がないならヤメとけや・・・などとわしは内心で毒づいていた。老人だからかなァ・・・と思わないでもなかったけれど、とにかくカッコ悪かった。あんな姿をよく人前にさらせるなァ、という思いが強かった。
そして話は現在にもどって、つい先日のことである。
わしは日課のジョギングに出たが、体が重いし、気分がのらないので、気持ちを変えようといつもとは違うコースを走った。
大きな熱帯魚店の前だった。歩道側は全面ガラス張りで、内側には水槽がずらずら並んでいる。そのガラスにわしの姿が映ってい
わしはなにげなくそれを見てガクゼンとした。
見るからに老人くさい老人が走っていたからだ。
そんなことァ当たり前だろ、と言われるかもしれないけど、そしてわしだって自分が爽やかな青年風だと思ってるわけじゃないけど、ガラスに半映りになって走っているのは、かつて見た「ダラッシー老人」そのものだったのだ。背は丸く、肩は崩れ、腰は落ち・・・フラフラぺんぎん。
わしは思わず足を止めたよ。そして少しあと戻りして、もう一度熱帯魚店の前をさっきと同じように走って見た。そして今度はその姿をしっかりと観察した。
まぎれもなく「ダラッシー老人」そのものだった。ごまかしようがなかった。
日本には昔からこういう言い方がある。
「子供叱るな来た道じゃ 年寄り笑うな行く道じゃ」
なんどか聞いたことのあるこの日本の俗言が、このときほど深くかつ複雑に身に染みたことはなかっ
実際に年をとってから走ってみると、どんなに頑張ってみても、若いときのようにサッサカ走れない。カッコよく元気に走れないのだ、情けないが・・・。
そんな不様な姿をさらすくらいなら、サッサとヤメちまえばいいのに・・・とわしが若いときに思ったように、いま走ってるわしを目にする若い人は思ってるかもしれん、とわしは想像する。
ほんというとわし自身、こんなしんどいことはやめたいといつも思っている。でもやめるわけにはいかないのだ。
老人が抱え込んでる問題はいっぱいある。その上さらに問題を抱え込むわけにはいかんのだ、若い美人を抱えこむのは別にして・・・なんてキレの悪いジョークしか言えない状況のなかで走っているわけだ。
ともあれ男の平均寿命を超えるほど生きてきて、つくづく思うよ。
何であれ自分が経験してみなくちゃ、本当のことは何も分からんな、と。
わしにあと残されている経験は、さしずめこの世からあの世への引っ越し作業だが、この人生最後のイベントも、じっさいに経験してみると、いま頭のなかで思っていることとだいぶ違うかもしれん。いや違ったものにちがいない。
だからどんなものなにか楽しみにしている。
それはともかく、先ほど書いた俗言はいたく身に染みたので、最後にもう一度くり返す。
「子供叱るな来た道じゃ 年寄り笑うな行く道じゃ」
あんたも必ずそこへ行くんだよ。お忘れなく。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。