食欲を失うと、いっしょに失うモノがある
退院後すぐにコロナにかかった。
手術・入院で体力が落ちて、一周遅れのランナーに後ろから肩を掴まれた感じ。
流行遅れの伝染病だし、大したことはなかろうとタカをくくっていたら、けっこう痛い目に遇わされたヨ。
まず全身のひどい倦怠感。
朝起きてから夜寝るまで、身体がひどくて気ダルい。何をする気も起らない。
で、一日中ボーッとしてしていた。
生きているのか死んでいるか判らん状態で生きている・・・というのはかなりシンドイでっせ。
で、かかりつけ医にかかったら、とんでもなく高い治療費と薬代を取られた。まさに目ン玉が飛び出したワ。
新型コロナウイルスの感染病の位置づけが、「2類」から「5類」に移って、政府の援助が無くなったのだという。何だかよく分からんが、何はともあれ、いきなり何万円も踏んだくられたのは痛かった。一ヵ月半近い入院費(健保で一割負担)と大して変わらなかった。
もう一つ、思いもかけずシンドイことがあった。
一ヵ月半ほど、食欲がまるでなくなったことだ。コロナにかかった人に多い後遺症だという。
しぜん、日々食べる量が減り、その結果としてみるみる痩せた。
風呂に入ったときに自分の身体を見て、ギョッとするくらいだった。干し柿みたいに皮ふに皴がより(見るからまずそうなネ)、あばら骨がこれ見よがしに自己顕示していた。
トイレに入ってすわると、肉がなくなって骨だけになった尻が、遠慮なく便座に当たる。今までの習慣で手加減せずにすわって、便器の反撃にあい、悲鳴を上げるという無様を何度かくり返した。
最近は、老人は小太りするくらいのほうが健康に良いと言われる。
たしかにこんなに痩せたんじゃいいわけがない、と自分でも感じるので、ムリしてでも食べようとするのだが、これがまた意外につらい。
嗅覚と手を結んだ味覚障害もあって(だから食欲も出ないのだろうが)、とにかく食べるのがこんなに苦しいことだというのは、実は87年生きて初めての経験だった。
食欲は、性欲と並んで生きものの二大本能だ。
が、一方は老化と共にどんどん減少する。経験上実感している。
それは自然に適っているので、大きな問題は起きないけれど、もう一方の食欲の方は、失って生きていると問題が生じるらしい。
なかでも一番大きいのは、生きる意欲もいっしょに失われることだ。
早い話、なにも食べたくないと、生きている意味をまるで感じなくなる。
今までにもそういう気持ちになることはあったが、わりと頭の中で考えていた。つまり脳の中の作業だった。
ところが食欲がなくなって感じる生きる意欲の喪失は、理屈ではなく身体の深奥から生まれてくる感じ。生々しく肉体的だ。
考えてみるとそれはごく自然で、当然のことかもしれない。理に適っている。
行きつくところ、生きものは結局、なにか食べなくては生きていけない。
要は、「生きることは食べること」なのだ。
それは人間以外の動物の一日の生態を見れば、一目瞭然だ。
まあ最近になってようやく少し食欲も出てきた。
食べることに苦痛がなくなった。
もう少し生きられるらしい。
ヤレヤレだな。
・・・って、何の「ヤレヤレ」か分からんけどサ。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。
私も傘寿となりましたので、近い将来半ボケじい様と同じ道を歩む事になるのでしょう。今後の参考にさせて頂きます。
なにはともあれ、食欲が回復されたとのこと、お喜び申し上げます。早く回復されないと奥様がお困りだと思います。
私のヨタヨタ歩きはあまり参考になりませんが、今朝の
朝日新聞のスポーツ欄に、監督就任一年目でソフトバンクを3年ぶりの
リーグ優勝に導いた小久保裕紀監督が、松下幸之助さんの言葉として
「人生で起きることはすべて必然で必要。ベストのタイミングで起きる」
と語ってます。
半ボケじじィも色呆け爺さんも、それぞれの人生に起きることはみんな
必然で必要なのでしょう。
そう思えば多少気がラクですよね。