方向転換

当ブログは現在、終着駅に近づいている一老人の生活(実態)を、あるがままにご紹介しようと思って書いている。
そのブログに、ここ2回ほど、ネガティブな話を書いた。
ちょくちょくコメントを寄せてくださるある訪問者から、「コメントのしようがない」というコメントを戴いて、反省した。
最近、夜あまり熟睡できないことが多く、日中も、身体が気だるくて何をする気も起らない。そのうえ、またしても御丁寧に路上に激しく転倒してしまい、気分が落ち込んでいた。で、ついつい、ブログもマイナスへ落ちてしまったのである。
でもねぇ、マイナスへ行ってもいいことは何もない。
そっちへ行けば何かがあるのなら、たまには思いっきりマイナスに走ってみるのもいいけれど、その結果何もないどころか、ますます状況を悪くするのじゃアホみたいなものだ。
マゾヒストなら話は別だが、わしはどこを突いてもマゾの気は出てこない。ナルシストでもないけど・・・。
そこでヨロヨロ考え直した。
同じ生きているのなら、何もわざわざ熱湯に手を突っ込んでアチチと叫ぶことはないんじゃないか、と。
で、考えてみた。わしの中に何かプラス的な要素はないか、と。
・・・なんていきなり方向転換を指示されても、美人とすれ違った目ン玉じゃあるまいし、簡単に横へ動かない。
それでもいろいろ考えているうちに、思い出した。おい、アルジャナイカ、と。
たとえば、去年転倒して首の骨を折ったとき、手術してくれた整形外科医がなんども言っていたではないか。これだけ懇切丁寧な脛骨骨折をやれば、ふつうなら首から下は麻痺し、言葉も失う。呼吸困難になって死ぬ場合だってある。そうならなかったのは奇跡的だ、と。
実際、同じマンションの住人で、まったく医者の言うとおりになった人が数年前にいた。
去年の転倒事故ではわしは、まさに奇跡的に運が微笑んでくれたと言える。
その前にやった脳梗塞だって、場合によれば長嶋茂雄氏みたいに、どんなにリハビリに励んでも半身麻痺から生涯抜け出せない人もある。だがわしの場合は、ロレツの回わりにわずかに跡を残しているていどで済んでいる。
つい先日の路上の転倒でも、わしの年齢であれだけ激しくコンクリートに叩きつけられれば、脚か腕か肋骨か骸骨か、どこかの骨を盛大に折ってもおかしくない。入れ歯が二つに割れただけで済んだのは、かなり幸運だ。
カミさんの認知症にしても、いろいろ面倒なことは多いが、糞便を壁に塗りたくったり、スキあればやたら家から抜け出して徘徊したり、行方不明になったりすることはない。考えてみればこれだってソートー有難い。
・・・というふうに、少し見方を変えれば、わしも悪いことばかりではない。
こんな人間でも、神サマはまだイノチを取り上げていないのだから、やはりイノチある限りは、ま、できるだけ明るい方を見て生きていくことにシマス。
・・・オサガワセしました。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。
私のコメントなど気になさらずに、思った通り、自由に書いてください。
私も家内を介護しながら生活していますが、今のところ私の体に異常は無く元気ですので、家内を連れて買い物に行ったり近くの公園で散歩を楽しんでいます。
拙宅は六甲山系の中腹にあり、ウグイスやホトトギス、他に名も知らぬ小鳥が、前の公園の樹木で遊んでいます。それを家内と二人、ベランダで眺め楽しんでいます。
私も80才になり、半ボケ爺さんの数歩後を歩いているわけで、半ボケ爺さんは私の先輩、先生の様なもので、プログを楽しみにしています。私もいつなんどき脳梗塞や転倒骨折をするか分かりません。(私の場合は心筋梗塞や膵臓癌の可能性が高いのですが。)
「こんな人間でも、神サマはまだイノチを取り上げていないのだから、やはりイノチある限りは、ま、できるだけ明るい方を見て生きていくことにシマス。」と書かれていましたので、安心しました。
図書館でNHKの「絶望名言」をお借りし読んでいます。
色呆け爺さま
お互いのブログに、同じ “呆け爺” という字があるからでもないでしょうが、
たしかに私たちは状況が似ているようですね。貴夫婦の日常の情景を知ると、
とても親しみを覚えます。
われわれの年齢になりますと、身体の健康が、やはり一番の重要ポイントです。
色爺様は「体に異常は無い」そうですので、それが何よりです。
私も今はこれといって痛いとか苦しいとかはありませんので、ありがたいと
思っています。もしどこかに故障が生ずれば、たちまち夫婦共倒れですからねぇ。
それを思うとクワバラクワバラですが・・・。
ま、お互い、出来るだけ元気でガンバリましょう。(半ボケジジイ)