住宅地のベンチで

住宅地のベンチ

 犬も歩けば棒に当たる。
 へんてつもない住宅地でも、歩いていれば小枝のような棒に当たることがある。

 わしの住んでいる所ははいわゆる住宅地なのだが、道端のところどころにベンチが置いてある。枝を広げている桜の樹の下とか、三叉路の角にある小さな空きスペースとかに。

 わしもときどき利用させてもらう。坂の多いところなので、坂の上に設置されているベンチは、わしらのような年齢の者には、夏の日なかを歩いてきた後に冷たい飲みものを出されたようで、ありがたい。

 先日も、勾配はゆるいけれど比較的長い坂道をのぼったあと、だれもいないベンチに腰をおろした。
 ほっとして胸もとのボタンを外し、手うちわで風を送っていると、下の方から視線がくるのを感じた。

 気がつかなかったが、1メートルほど離れた花壇のかたわらに、2,3歳くらいの女の子がしゃがんで遊んでいた。そこからさらに2,3メートルほど先に、30代後半の中年女性が3人立ち話をしている。

 さて、女の子であるが、しゃがんだまま顔をあげて私の方をじっと見ている。
 わしもごく自然に彼女を見返した。
 整った顔つきの女の子で、まっすぐにわしを見て、まばたきもしない。
 わしの方も(ドライアイだからまばたきはしたかもしれんが)そのまま彼女を見つづけた。

 ところが、その女の子はなぜかいつまでも視線を外さない。ぴたりとわしに目を据えたままである。
 鼻の穴から草でも芽を出しているのか、と自分にジョークを言ってみたが、おもしろくもなかった。おそらくこの子の周辺には年寄りがおらず、白いひげを垂らした爺さんは珍しいのかも・・・などと思ったりしながらも、何となく変な対抗心のようなものが出てきて、わしも目を外さずにそのまま彼女を見返しつづけた。(いい年をして何をやってるんだろうねぇ)

 だがそのうち、なんとなく居心地が悪くなってきた。
 ひとつにはその居心地悪さを絶ち切ろうとして、もうひとつには遅ればせながら女の子の遊び相手になってやろうと思って、両手を広げて両耳のそばへもっていき、ひらひらさせながら目の玉を中央へ寄せて見せた。要するにヘン顔をつくって笑わせてやろうと思ったのだ。

 すると女の子はふいに怖じ気づいたたような顔になり、ぱっと立ち上がると、子犬のような素早さで立ち話をしている中年女性のところへ走っていって、その中のひとりの手につかまった。
 それからわしの方を振りかえると、唇を横いっぱいに広げて「イーッ!」をしてみせた。

 わしは好意をもってデートに誘ったら、すげなく断られたような気分になった。
 
           ◇
 
 もうひとつ。
 まだ寒い頃だったが、別のベンチに座っていたときに、こんな光景を見た。

 疲れた体を休めながらぼんやりしていると、犬を連れた男がやってきた。
 犬はぬいぐるみと間違えそうな小型犬だ。おそらくトイプードルだと思う。
 そして糸のように細いリードを手にしているのは、1メートル80センチを超えていそうなすらりと背の高い中年男だ。着ているものはラフだけど見るからに上質モノで、いかにも高級サラリーマンの休日・・・といった感じ。

 ところが、ちょうどわしの目の前辺りまで来たところで、そのトイプードルはピタリと足をとめて、そのまま動かなくなった。電動おもちゃの電池が切れたようだった。

 なんとなくおかしかったのは、その小犬に合わせて、飼い主の大男も電池が切れたみたいになったことだ。じっとして動かないのだ。足元の犬になにか話しかけるでもなく、抱きあげて腕にかかえるわけでもない。犬に合わせて自分も足も止め、地面に近いところにじっといる犬を、高いところからただ見下ろしているだけなのである。

 短い間ならべつにどうということもないだろう。だがどういうわけかそのトイプードルは、時間が経っても動かない。まるで4本の短い足が地面に根をおろしたみたいに。

 足を動かさないだけではない。頭も体も動かさない。家の玄関先に陶器の犬が置いてあるのをときどき見かけるが、あれと同じ。目も動かさないので、なにか深遠な思索でもしているのかと疑いたくなったほど。

 そして飼い主のスラリ大男。
 ふつうなら声をかけるとかリードをかるく引くとかして、そろそろ行こうよと促すくらいのことはすると思うのだが、あくまで犬がみずから動きだすのを待つつもりらしい。
 その様子はまるで、小さなお姫様につかえる大柄な侍従。

 しかしそのうちわしは、ひとごとながら少しイライラしてきた。
 そのイライラを言葉にするとしたら、
「いつまでそうしているの?」だけど、そのときわしの胸にうごめいていたのはそれだけではない。しかしうまく言葉にできない。

 そんなわしの胸の内が伝わったわけじゃあるまいが、ふいに犬の体が動いた。
 すっと腰を落とし、短い尻尾があげて、お尻からナメクジのようなウンチをぽとりと地面へ落としたのである。続いてもう一匹、やや小さめのナメクジが飛び降りた。そのナメクジたちは、そろっておのれの存在感を示すようにかすかに湯気をあげている。
 侍従サマもそこでようやく動いた。ポケットに手を入れてビニール袋を取り出したのである。

 その光景を見ているのはわしだけだと思っていたら、じつはもう1人いた。 
 家に帰ったら女房が言ったのだ。
「あなたベンチにすわって何見てたの? 呆けたように口開けて、何か見てたわよ」

 ベンチのある所から、2,30メートルほど離れた辺りで交差するもう1本も道がある。女房はその道を通りながらわしを見たらしい。
 犬姫サマと侍従のウンコ待ち物語を説明してもしかたがないので、適当なことを答えておいたが、なんとなく背中のどこかがほんの少しひやりとした。

 たしかにわしは “姫・侍従コンビ” のあるひそかな作業を見ていたが、そのわしをまた別の人間が見ていたとは・・・。
 油断もスキもありゃしない。どこで誰が見ているか知れん。近ごろはカメラやマイクがどこに仕掛けてあるか分らんし。

 アホ。政府要人じゃあるまいし、そういうのを針小棒大というのだ。
 ナメクジを見て、恐竜を見たというのと同じ。
 いくらお前さんがボケてても、トイプードルのお尻から恐竜が飛び降りた、とは言わんだろ。

 

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住宅地のベンチで” に対して 2 件のコメントがあります

  1. むらさき より:

    半ボケじじいのブログはホントに面白いな~♪
    エッセイのように読み進めて、ふふっと笑ってしまうのだ♪
    週に2回でも、1回になってもいいから、続けてね♪

    1. Hanboke-jiji より:

      ヨイショにしてもこういうことを言ってくれる人がいると、
      ホネもアラシも乗り越えて、骨がギシギシ言おうが風がビュービュー言おうが、
      なんとかガンバッテ続けにゃあアカンな・・・と思うよ。

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