門柱の上の猫
当ブログはこれまで週3回の更新を原則にしておりましたが、最近老骨がギシギシ言い出しており、折れてバラバラになって海へ散骨・・・てなことになると元も子もありませんので、今後は週2回の更新(月曜と金曜)を原則に致したいと思います。ご理解いただければ幸せです。
糖尿病治療の一環として、毎日ほぼ同時刻に、ウォーキング&ジョギング(以下「ウォージョグ」と略称する)をやっているが、その途中で3,4日に1回くらい、顔を合わせる猫がいる。
彼女(…と書いたが実はオスかメスか分からない、わしが勝手にメスといういことにしているだけ)は、ダイアナ元英皇太子妃みたいな超美猫というわけではないけれど、この辺りでは他にちょっと見ないかなりの品格をそなえた美猫である。で、顔を合わせる回数が重なるにつれ、意識するようになった。
ウォージョグ コース途上に、70段を超えるけっこう長い石段がある。その石段を上がった先の角地に大きな家があって、その家の門柱の上にその猫はいつもいる。
門柱はりっぱな大谷石で造られていて、高さは2メートルちかい。頂きが平らになっており、30センチ四方くらいのスペースがあるだろうか。
そこに彼女はたいてい品良くうずくまっている。正座(…というのだろうか、前脚をきちんと揃えて立て、お尻をおろした座り方)のときもあるが、それはごくたまである。腹這いになり、胸の前に前足を折って並べる座り方が多い。
実は、この門柱の上にいるとき以外の彼女を見たことがない。
オスなのかメスなのか分からない理由はじつはそこにある。もし歩いているところを、失礼ながら背後からローアングルで拝見できれば、雄・雌を分けるシルシを見てとることができると思うのだが・・・。
ともあれこの門柱の上は玉座みたいなものだ。彼女はいつもこの玉座に着座してわしに接見する。
いや、わしがエッチラオッチチラ長い石段をのぼっているときから、すでにご上覧なさっていると思う。それが分かる。なんとなく彼女の視線を感じるというか・・・。
わしは彼女目線で自分を俯瞰して、さぞかし老人くさい身ごなしをしているのだろうなァ・・・と思いながらこの石段を上る。
上りきると、自然に玉座の前に進み出るかたちになる。
彼女はまっすぐにわしを見つめる。一瞬といえど目を逸らさない。その視線のゆるぎなさにたじろぎそうになるのを、必死にこらえてわしも見返す。
猫にあまり詳しくないので何という品種か分からないが、雑種ではなくちゃんとした血統書付きの純血種だと思う。
毛は長くふさふさしている。
目は湖のようなブルー。まん丸で大きい。
そんな目でまたたきもせずに真っ直ぐに見つめられると、正直はじめの頃はゾクッとした。慣れてきてからもかすかに緊張する。老いぼれてもなお少しは残っている負けん気を刺激されて、なにくそ、相手はたかが猫だ、と自分に言い聞かせてガンバルのだが、結局先に目をそらすのは情けなくもたいていわしのほうだ。
そもそも彼女はいつも高い所にいて、上から見下ろしているのだ。こっちは彼女を仰ぎ見るかたちになる。
チャップリンの『独裁者』の有名なシーンを思い出す。そういう位置関係にあるだけで心理的に上下関係が生まれる。必死に虚勢をはってそんなそぶりが出ないよう努力はするが、目の利くひとが傍から見れば一目瞭然だろう。猫と人間のあいだでさえ・・・と意外なところでチャプリンの偉大さを再認識する。
だが、彼女に見合い負けするのは、位置関係のせいだけではないかもしれない。彼女の目に警戒心や猜疑心がまるでなく不動であることも、もう一つの理由ではないかと思う。わしが門柱ぎりぎりまで近づいても、さらに手を上げ伸ばして彼女に近づけても、逃げようとする気配を見せないどころか微動だにしない。ひたすらじっとわしの目を見つめ続けるか、伸ばしたわしの手に視線を移すかだけだ。
こんなふうに深く美しい目でヒタと見つめられれば、正直相手が猫でもふしぎな気持ちになる。
ふしぎな感じを抱くもう一つの理由は、こちらの心の中というか、精神状態がみごとに彼女の目に反映することだ。愛猫家はよく、猫は人のこころを読むというが・・・。
たとえば、不都合なできごとが続いたあとなどは、わしを見る彼女の目はいたわりの気配をただよわせる。
「あまり気にしないことよ。いい時も悪い時もあるわ、人生には・・・」
うれしいことがあった日には、
「あら、愉しそうね」
難しい問題に直面しているときは、ちょっと湿った目を返す。
「悩みごとがあるときは、とことん悩めばいいわ。でも結局、配られたカードで勝負する以外にないのよ、わたしたち生きものは・・・」
ここまで読まれたあなたは思われたかもしれない。
「要するにあんたは、自分のこころをかってに相手に投影しているだけだろ」
そうかもしれない。
しかしそれでいいんデス。鏡なしで自分の心の中をのぞき込むのは、けっこう難しいから。
そしてその鏡が、なかなかの美猫であるということが、気に入ってるんデスから。