抜くべきか、抜かざるべきか、それが問題だ!(中)
(きのうからの続き。途中から読んでも何のことやら分からんよ。
きのうはこっち)
前回は女房から、「そんな汚い歯はぜんぶ抜いて総入れ歯にしたら? そうすればあんたも多少は見られる顔になるかも」などと、ひどい言われ方をして、アタマにきたところまで書いた。
さて、その後だ。
わしも一時はカッとしたよ。でも少し頭を冷やして考えてみたら、女房の言い分にも一理はある。
偽物(今風にいえばフェイクだな)とはいえ、色も形も完璧に美しい総入れ歯にすりゃあ、たしかにオレの顔の美的要素にいくばくかのプラス価値が加わるかもしれん・・・などと年のことも考えずに思ったのだ。
もって回らずに、ぶっちゃけて言えば、内心どこかで、
「歯が美しくなったら、オレも今より多少は女にモテるかも・・・」
といった助平根性が働いたのである。
・・・ぐらいのことは言ってみたいんだけどね、本当は。
しかし年齢をはじめとする客観的諸事情にかんがみて、ま、そこまでは言わん。
しかし他方でわしの中には、
「少々みっともなくても、やっぱり自分の歯を大事にすべきじゃないか」
という思いも根づよくあった。理由は明快だ。入れ歯にすると食事がまずくなるからだ。
ぶざまついでに恥をしのんで言うが、食事は今のわしにとって人生最大・・・というより唯一の楽しみだ。
その楽しみを入れ歯ごときに奪われたのでは、何のために生きているのか分らんようになる。
そこで悩むわけよ。「抜くべきか、抜かざるべきか・・・」と。
実をいうとね、その時わしの口の中には、すでに一本だけ入れ歯があった。不用意に梅干しの種を噛むというおバカなヘマをやって、グラグラしはじめ、受診した歯医者にそそのかされるまま義歯にしたのだ。
ところが、そのたった一本の入れ歯が口の中に居るだけで、食事がひどくまずくなった。イヤな居候がひとり居ると食卓がくもるように。
そのうち慣れるだろうと思っていたが、いつまで経っても慣れない。
結果、食事のたびにその作り物の歯を外すようになった。
以来わしは、食べ物を噛むために入れた入れ歯を、食事のときには外す・・・などという訳の分からんことをやるようになっていたのである。
愚かの極みというほかない。
(疲れてきたので、続きはまた明日の「抜くべきか、抜かざるべきか、それが問題だ!(下)」へ)