タトゥーへの偏見はもう古い?

刺青

 この世のコトは、時代が変われば見方も変わる。
 
 前回、江戸川柳の入れ墨の話を書いたら、数ヵ月前の新聞の読者投稿欄を思い出した。「タトゥーへの偏見はもう古い」と主張する、30代の女性(翻訳業)の記事が載っていたのをである。

 その記事が手元にないので、正確じゃないかもしれんが、およそこんな内容だった。
 
 投稿者の彼氏は外国人だ。その彼氏は日本が大好きで、その好きが高じて、日本的なさまざまなモノを腕に彫りこんでいるという。
 たとえば前回の当ブログにも書いた「愛」という日本字とか、桜の花とか、アニメのトトロとか、祭りの金魚すくいで見たデメキンとか・・・(ほかにもあったと思うが忘れた)。とにかく、彼氏が好きなそういった日本のモノを、腕いっぱいに彫りこんでいるらしい。
 
 ・・・で、だ。
 たとえばあんたの愛娘が、結婚したいといって相手を連れてきたと思ってもらいたい。
 で、その男が、もし腕じゅうに刺青を入れていたら、あんたはどうする?
 反対するんじゃないだろうか? ふつうのまともな日本人の親ならまあそれが普通だと思う。そんな遊び人か極道モンみたいな男と結婚するなんて断じて許さん! ・・・てな調子で目を吊り上げるんじゃないのかな?
 
 だが、くだんの投稿者は言う。
 タトゥー(刺青)を入れる理由は人さまざまだ、と。

 たしかにヤクザ系の人たちが、彼らのシノギのひとつである脅しの効き目をあげるために、あるいは仲間意識や自己満足のために、墨を入れることはある。またそれをヤクザ映画がやたら見せびらかすために、日本では刺青は “ならず者” が入れるもの・・・というイメージが強い。
 だが、外国人のタトゥーに対する感覚は違うという。

 いや考えてみれば日本だって、たとえば江戸時代には刺青に対するイメージは少し違ったのではないか。でなければ、遠山金さんなんてお奉行がもてはやされることはなかっただろうし、「この桜吹雪が目に入らぬか」なんて決めゼリフを喝采することなどなかったはずだ。

 さらにまた、事故や病気の手術跡とか、自傷行為の跡をかくすためにタトゥーを入れる人もいるし、たんなる美意識やファッションの行為として入れる人もいる。

 要するに刺青を入れる理由はさまざまなのだ。それを「刺青=ヤクザ」といった、ナントカのひとつ覚えから一歩も出ない対応をするというのは、あまりホメられたもんじゃないとわしも思う。
 
 いつかもこのブログに書いたが、対象をよく見ないですぐレッテルを貼るのは、ヒラヒラと閃く蛇の舌の次の次くらいにわしは嫌いだ。
 
 しかし、だからといって、たとえ若かったとしてもわしは刺青は入れん。
 年をとったときに、昇り龍がしなびてムカデみたいになっちまったのを背中に背負っていたくない。わしの美意識に反するモンね。

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