母の名は親父の腕にしなびて居(古川柳)

刺青

 わしは川柳が好きだ。
 たった17文字の中に、人情の機微や人生の陰影が、ユーモアたっぷり皮肉たっぷりに描かれているからだ。
 こんな凄い文芸は世界中どこ探してもない。(・・・なんて断言しちゃったけど、そのほうの専門家じゃないから本当のことは知らん)

 わしが特に好きなのは、「サラリーマン川柳」と「シルバー川柳」だ。
 かつてサラリーマンだった時があるし、今はシルバーの旬だ。

 「サラリーマン川柳」では、去年(第31回)のだけでも、すぐに思い浮かぶ句がある。

 ・スポーツジム 車で行って チャリをこぐ
  (こういうアホなことを、しょっちゅうやってるよね、人間って・・・。)
 
 ・減量の 決意はいつも 満腹時
  (わし、糖尿病でデンプン抑えねばならんので、身にしみる)

 ・何事も 妻ファーストで うまくいく
  (分かってる。わかってるんだけど・・・ね)

 一方「シルバー川柳」のほうは、当事者ど真ん中だから「ソレ、俺だ!」って叫びたいのがいっぱいある。いま頭に浮かんできたのを挙げると・・・・

 ・改札を通れずよく見りゃ診察券
  (さっき払った診療代を取り返そうってわけじゃないんだけどサ)

 ・万歩計半分以上探し物
  (万歩計に申し訳ないような気になっちゃう)

 ・つまづいて何もない道振り返り
  (なんか未練たらしいんだよねぇ、人がこれやってるのを見ると・・・)

 ・歩こう会アルコール会と聞き違え
  (年をとると食い意地がはるのは神の設計だ。えっ、神に責任転嫁するの?)

 ・妻の愚痴うなずいてたらわしのこと
  (グチは当人に言うな!)

 ・このごろは話も入れ歯もかみ合わず
  (噛み合わないのは話や入れ歯だけじゃない。それがこの句のホンネ)
 
 それにしても、老人の実態をよく見てるよねえ。(くり返しになるが)それをたった17文字で表現するのだからつくづく感心する。
 
 さて、そこで本題。当記事のタイトルに掲げた、
 
  母の名は親父の腕にしなびて居
   
 である。

 これは江戸時代に作られた古川柳のひとつだが、わしがこの句が好きなのは、(またくり返すけど)わずか17文字のなかに、若き日の男女の熱愛の姿のみならず、その後(数十年後)の姿まで表現しているからだ。たった17文字でだよ(また言っちゃった)。
 
 若いころは男っぷりがよく、喧嘩っぱやくて、イナセな若者だったらしい父親も、いろいろあった人生を歩いて年を取った。体も小さくなり、肉もそげ落ちている。まさに尾羽打ち枯らし・・・なんて言葉があたまに浮かぶ風体だ。
 
 そんな親父が縁側にすわって、所在なげにうちわを使っている。ゆかたの袖を肩までたくし上げ、軒先にぶら下がってるひょうたんか何かをぼんやり眺めてる。

 その親父のしなびた腕には、女の名が彫ってある。「○○愛」とか「○○命」とかいうやつね。
 墨が薄くなって、地肌もシワシワだから、他人には何と書いてあるのか読みづらくなっているけど、じつは母親の名前なのだ。
 
 台所のほうから包丁の音がしている。
 親父の腕の女が夕餉の支度をしているのだ。結婚するまでは「愛」や「命」だったが、結婚後は単なる「おさんどん」になってしまった女。しかも長く亭主の道楽(女遊びも含めて)に苦しめられているうちに、気がつけば人生も残り少なくなっている。頭を白くし、丸くなった背をかがめてタクアンか何かを刻んでいる。

 一方、縁側にいる親父は、庭にぶら下がったひょうたんに、若き日に情を交わした女たちの姿態を重ねているのかもしれない。そんな呆けた顔だ。

 そういった情景を息子(か娘)がはたから見ている。
 このサエない男と、そのしなびた腕に名を彫られた女がナニして生まれたのがこのオレか・・・なんて思いながらね。

 そこに何ともいえぬ味がある・・・といえばいえる。
 人生だねぇ、つうか。 

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