母の名は親父の腕にしなびて居(古川柳)

刺青

 当記事のタイトルに掲げたのは、江戸時代に作られた古川柳のひとつである。
 わしがこの句が好きなのは、わずか17文字のなかに、若き日の男女の熱愛の姿のみならず、当人の数十年後まで表現しているからだ。
 その間の数十年までなんとなく想像できる。
 つまりある夫婦の一生の大半を17文字で味わえる。

 若いころは男っぷりがよく、喧嘩っぱやくて、イナセな若者だったらしい父親も、いろいろあった人生を歩いて年を取った。体も小さくなり、肉もそげ落ちている。言いたくないがまさに尾羽打ち枯らし・・・なんて言葉があたまに浮かぶ風体だ。
 
 そんな父親が、夏の夕暮れに縁側にすわって、所在なげにうちわを使っている。ゆかたの袖を肩までたくし上げ、軒先にぶら下がってるひょうたんをぼんやり眺めてる。

 その親父のしなびた腕には、女の名が彫ってある。「○○愛」とか「○○命」とかいうやつね。
 墨が薄くなって、地肌もシワシワだから、他人には何と書いてあるのか読みづらくなっているけど、じつは母親の名前なのだ。
 
 台所のほうから包丁の音がしている。
 親父の腕の女が、夕餉の支度をしているのだ。結婚するまでは「愛」や「命」だったが、結婚後は単なる「おさんどん」になってしまった女。しかも長く亭主の道楽(女遊びも含めて)に苦しめられているうちに、気がつけば人生も残り少なくなっている。頭を白くし、丸くなった背をかがめてタクアンやネギを刻んでいる。

 一方、縁側にいる親父は庭のひょうたんに、若き日に情を交わした女たちの姿態を重ねているのかもしれない。あの女の腰のくびれはほとんど芸術的だったなァ・・・なんて。
 そんな呆けた顔だ。

 そういった情景を息子がはたから見ている。
 このサエない男と、そのしなびた腕に名を彫られた女がナニして生まれたのがこのオレか・・・なんて思いながらね。

 そこに何ともいえぬ味がある・・・といえばいえる。
 人生だねぇ・・・つうか。 

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