長兄(3)-静かなカタツムリ-

カタツムリ

 前々回から、わしの長兄について書いている。(参照 → 前々回前回

 彼は20歳ころまでは “ウツを病んだナメクジ”、20~40歳ころは “腑抜けた金魚”・・・とでも言いたいような不安定な生活だったが、40歳を目の前にしてようやく細い一本の杭につかまった。
 ともあれ流されずにひと所に定住したのである。
 それは正直いってわしには予想外だった。彼は結局死ぬまで、流れのまにまに浮かぶ泡のような一生を送るだろう・・・と思っていたからだ。
 
 といっても、彼が不惑を目前にして一念発起したわけではない。
 相も変わらず成り行きまかせで付き合っていた女にたまたま子供ができた・・・という情けない事実がきっかけである。
 そしてこれもまた “たまたま” 以外のなにものでもないのだが、その女が不美人で学歴もないけれど、芯が強いうえに自己のある女性だったということが、彼にとって幸いだった。

 彼女は長兄の要望を拒否して子供を堕ろさなかった。そして逃げ腰になった彼の首根っこを押さえて強引に結婚し、堅いところに就職させたのである。
 大阪の下町にある小さな町工場だったが、あの長兄がその後、曲がりなりにも一つ所に定年まで勤め通すことができたのは、わしには予想外の驚き・・・というより奇跡に近いことのように思える。
 だがそれはひとえにこの女房の力だったといっていい。とにもかくにも長兄に家長としての、さらには子供たちの父親としての自覚を植えつけ(のちにもう一人生まれた)、それなりの責任を持たせた彼女の手綱さばきのおかげ、という以外にない。

 もっとも、少しうがった見方をすれば、彼女は彼女なりに自分の人生を設計したのかもしれない。冷静に自分を見つめて高望みはできないと読んだ。そして少なくともこの男なら百%自分の思いどおりに動かせると踏み、それが自分にできる最善の人生選択だと計算したのかもしれない。

 が、内情はどうあれ、その結果、長兄はそれ以後比較的平穏無事な後半生を送ったのである。葉陰のカタツムリのように目立つことなく・・・。わしにいわせれば彼のような人間には出来すぎの人生だった。

 だがそれは長兄自身の意志や努力の結果ではない。たまたま周辺の流れに恵まれたからだ。ほとんどタナボタといっていい。
 三つ子の魂百まで。幼児のころに養われた彼の人間性(前々回にくわしく書いた)は、結局死ぬまで変わらなかった・・・と思う。

 長兄が亡くなって早くも十年余になる。
 近ごろ何かのひょうしにふと彼のことを思い出すと、何とはなく「悪人なおもて往生をとぐ、いわんや・・・」という言葉が頭にうかぶ。
 例の他力本願。厳しい修行など必要ない。ナムアミダブツを唱えるだけで、どんな人間にも仏が救いに来てくれる。往生を強く求めたり、そのために努力したり修行したりするのはかえって成仏の邪魔になる・・・。

 逆にわしはどちらかというと、目標を設定して自己努力を課すタイプだ。
 そうしない人間、もしくはできない人間を低くみる傾向があった。
 だがこうして長兄の人生を俯瞰し、ひるがえっておのれの来し方を振り返ってみると、どちらが良い悪い、高い低いなどとは決して言えない。
 いや長兄のような人間を軽蔑したのは、自分を基準にしたひとりよがりの思いあがりだったと言えるかもしれない・・・と胸を内からチクチク刺すものがある。

 結局、人間は持って生まれた星のもと、各人に与えられた宿命を、それぞれがそれぞれに生きるほかないのだと思う。
 八十年あまりも生きてきて身も蓋もない感想だけど・・・。

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長兄(3)-静かなカタツムリ-” に対して 2 件のコメントがあります

  1. むらさき より:

    人生ってほぼほぼ決まってるのかな~?
    いや、性格とか人間性とか生き方で人生が決まっていくのかな~?
    人生登り坂、下り坂、そしてまさか!てのがあるって聞くけど、お兄さんのまさかは良いまさかだったんだね♪
    いつもいつ来るかわからない「まさか」にビクビクしてるけど、良いまさかもあるんだ♪

    1. 人間の人生って、生まれつき決まっているのかいないのか、
      ほんとはだ~れにも分からんよねー。神サン以外は・・・。
      その神サンだっているのかいないのか分からんし・・・。
      80年余り生きても分からんことばっかり。
      このまま分からんまま死んじゃうんだろうねぇ~。

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