服役中の凶悪犯は何を恐れているか

刑務所

 この年になるとたいていのことには驚かない。

 が、先ごろとある新聞で読んだある文章には、こちらの思い込みを崩されるところがあって、ちょっと考えさせられた。
 
 早稲田大学の名誉教授に加藤諦三という人がいる。
 わしとほぼ同年齢の社会心理学者だ。若いときからかなり有名で、若者の生き方をテーマにした人生論系の彼の著書を、わしも読んだ記憶がある。50年ほど前の話。
 先に述べた新聞の文章とは、その加藤さんの書かれたものだ(ひょっとすると記者による聞き書きかもしれないけれど)。

 加藤さんは30歳代の半ばに、米国ハーバード大学で客員研究員をしていた。そのころの話である。

 ハーバード大といえば、世界中から秀才が集まる所だ。ありきたりのことをやっていたのではダメだ・・・とおそらく加藤さんは考えたのだろう、ある思い切った研究企画を立てた。
 それはマサチューセッツ州コンコードの刑務所で、受刑者たちヘ直接インタビュー調査を実施するというものだった。

 この刑務所は、凶悪犯が多く収容されている所だ。インタビューの許可がおりる可能性は小さかった。
 果たして当局は申請を拒否した。インタビュー中に、インタビュアーが人質にとられる可能性が高い、という理由からだった。

 それでも加藤さんは諦めずに要請をつづけた。それでようやく許可が下りた。ただし次のような条件付きである。

 もし人質にされた場合、事態解決のため当局はただちに武力を行使する。その際、加藤さんに銃弾が当たり死に至ることもありうる。そのことをあらかじめ了承する、という書面にサインすること。
 そのほかにも、まず「牢名主」に直接会って信頼関係を築くこと、というような条件もあった。それらを受け入れて、ようやく中に入ることを許可された。

 インタビューした受刑者は86人。武装強盗の犯人たちが中心だった。
 このインタビュー調査で、加藤さんの印象に強く残ったのは、次のようなことがらだった。

 政治的関心についての調査で、「国を改善するために自分にできることはあるか」と尋ねたところ、37%が「たくさんある」と答えたという。

「刑務所の中でのこの数字は驚異的です。米国の強さを感じました」
 と加藤さんは驚きのコメントをしているが、わしも驚きを禁じえない。

 最近のアメリカは、エゴ丸出しの金髪おじさんが最高の座にいて、世界のUSA評価を落しているけれど、社会の最下層ともいえる “ムショ” の中に居る人たちの40%近くが、「国を良くするために自分にもできることがある」と答えたというのだからである。
 もし日本で塀の中の人に同じ質問をしたら、「お前、おちょくってるのか?」とスゴまれるくらいがオチではないだろうか。

 家族に関する質問では、「家族がとても重要」と答えた人は100%だったという。
 そう答える受刑者が多いだろうというのは、あるていど予想がつく。でも「とても重要」と答えたのが100%・・・1人の例外もなく全員だったというのも、わしには少々驚きだ。
 彼らもわしらと同じように、ごくふつうに幸せに生きたい、そのためには家族ともうまくやっていきたい・・・と思っているのだ。にもかかわらず、何か間の悪い巡り合わせが重なったりして、人生の暗い谷間に落ち込んでしまった・・・。

 加藤さんは刑務所に通っている間に、ひとりの派手な服装の女性にたびたび会ったという。あるとき言葉を交わしてみると、彼女は、「これから(服役中の)息子に会うのよ」ととても嬉しそうにしていた。

 加藤さんはその母親について、「“勘当”という言葉がある日本では、考えられないことです」とコメントしていたが、わしも世間体を気にする日本人と、なにごとも本音を大切にして生きるアメリカ人との違いを感じる。

 加藤さんが言及した“勘当”にしても、勘当にでもしなければ世間に申し開きが立たない・・・といった気持ちが日本人にはあると思う。親が子を思う情に相違はなくても、生きるうえで何を大切にするかというところで、力点の置きどころが違うのである。
 それにしても、日本人はどうしてこうも人の目を気にするのだろう。

 一連の質問のなかに、「あなたは何を最も恐れているか」と問う項目があった。
 その質問に対して彼らが答えた内容に、加藤さんは強い印象を受けたという。
 最も多かった答えが「意味のない人生」だったからだ。
 しかもそれは、全体の60%を占めていたというのだから2度驚く。
 漠然と予想していた「貧困」を恐れている受刑者は、意外にもわずか12%にすぎなかった。

 わしにとっても、この問いの結果は単なる驚き以上のモノがある。
 彼らが置かれているような状況の中で、何をいちばん恐れるかと問われれば、ふつうは病気を恐れるとか、仕事に就けなくて食えなくなるのが怖いとか、あるいは孤独に苛まれることを恐れる・・・といった答えが返ってくるのではないかと想像する。
 しかし実際は、60%が「意味のない人生を恐れる」と答えたというのである。

 確かに、「人間は意味のない人生には耐えられない存在である」と述べた誰かのご高説を耳にしたことはある。
 しかし、どのような生活レベルにあっても、あるいはいかなる過酷な状況のなかにあっても、それは変わらないのだろうか。いつどんな時でも人間は無意味な人生には耐えられないのだろうか

 あるいはひょとして順序が逆で、意味の感じられない人生を送っていたから、そのツラさから逃げようとあがいた結果、罪を犯す道につい近づいてしまったのだろうか。

 老いボケた頭では、こういう当たり前のことしか思い浮かばないけれど、反社会的な行為をして刑務所のいる彼らが口にしたこの言葉は、人間にとって何かしら意味深いものを示唆しているように思える。

 しかし、一方でゾッとすることにも気づく。
 実は誰あろうわれわれ老人こそ、その大半が意味のない日々を生きている存在ではないか、という自問に導かれざるをえないからである。

 しかも、その無意味な人生をさらに意味もなく引き延ばしているモノがあって、それは日々進歩をつづける現代科学であるという現実にも気づく。
 何のために時代の進歩はあるのか・・・という疑問もわいてくる。
 
 こういう入り組んだ重い話になってくると、老いボケ頭には少々荷が重い。
 老人にはやはり意味のない軽いものがいい。
 ・・・と結論して引き下がる(逃げ出す)ことにする。
 ごめんアソバセ。

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