偶然はタマタマか

赤いひも

 学生時代、間借りしていたとなりの部屋に、夫が医学生の若い夫婦が住んでいて、その可愛い奥さんにアピールしようとして、ピント外れの振る舞いをした若いころのアホな話を、先日の2月2日の記事に書いた。
 
 それで思い出したのだが、その話に関連して、こんな偶然がこの世にあるのか・・・と驚いたことがある。(関連の2月2日の記事はこちらから)

 なんとか社会人になって、先の記事に書いた間借り部屋を出てから少なくとも5,6年は経っていた。

 その夜、当時勤めていた会社の同僚たちと深夜ちかくまで飲んで、ほろ酔い気分で繁華街を歩いていた。
 商業地区なのでおもに人の通る道だが、業務用の車も通行できた。その業務用車に、わしは後ろから撥ねられたのである。

 そういう場所だから、車はそれほどスピードを出していなかった。しかしわしはまずボンネットの上にはね上げられ、それから空中で一回転して地面に落ちた。
 わしの視界のなかで、電信柱や電線や建物、建物の看板などが、スローモーション映像のように宙でゆっくりと回転した。まるで宇宙遊泳している宇宙飛行士のようだった。経験はないけど・・・。

 そんな事故だったのに、わしは奇跡的にどこも怪我をしなかった。痛いと感じるところもなかった。だからわしは「大丈夫、大丈夫」と言ったのだが、いっしょにいた同僚たちは、後になって問題が出るかもしれないから、その時のためにも病院の診断を受けておくべきだ・・・といって、ぶつけた車のナンバーや運転者の免許証の内容を控えたうえで、大通りに出てタクシーに乗った。

 救急の診察を受け入れてくれた最寄りの病院は、深夜だったこともあって、がらんとした暗い倉庫のようだった。

 そのときわしを診察してくれたのは若い医師だった。
 えッ、こんなことあるの?! と驚いたのは、診察室でその医師と向き合った時である。
 彼は先の記事に書いた、わしが学生時代に2階を間借りしていたとき隣りの部屋に住んでいた医学生だったのである。
 まさかこんな所でこんなかたちで再会するなんて、東京の満員電車で足を踏まれてニラミつけた男と、数日後に青森の山奥の秘湯で裸で出くわしたのに近い気分だった。

 彼ら夫婦は、わしが出るより少し先に、隣の間借り部屋からどこかへ引っ越して行った。つまりわしらは、世界の大海へ別々に放り込まれたメダカみたいなものだった。偶然に出会うなんてことは確率的に奇跡にちかい。

 いま思い出してもう一つ驚くのは、そのようなまずあり得ないめずらしい再会だったにもかかわらず、かつて隣り同士の間借り人だったことを、お互いにひとことも口にしなかったことである。
 そもそもわしは社交的なほうではないし、相手の医者も、東北なまりの抜けきらない人見知りのつよい男だった。
 ・・・ということはあったにしても、ふつうならせめてひと言「久しぶり、奇遇だね」「ほんとですね」くらいのことばは交わすのではないか。

 「偶然」ということばを辞書で引くと、「何の因果関係もなく、予期しないことが起こること」(大辞泉)とある。
 実をいうとわしは常々、この解釈に疑問をもっている。予期しないことが起こるのはいいとしても、何の因果関係もなく・・・というのは違うと思う。
 偶然と思えるものもすべて目に見えないだけで、あるいは現代の科学では説明できないだけで、どこかで因果の赤いひもでつながっているように思えてならない。
 だからこの世に起きることはすべて必然である。この世に偶然はない。
 ・・・とわしは思っている。
 エビデンス(証拠)を示せ、なんて言わないでね。

 余談だが、事故の直後病院へ行ったとき、同僚のひとりがタクシーに同乗して一緒について来てくれた。
 それがいまの女房である。
 因果の糸はどこにつながっているか分からない。
 そこがおもしろい。

 

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