年をとってから引っ越しをするとこうなる(3)

老人の引っ越し

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ここに実況中継中のとおり、ただいま引っ越し先と引っ越し元のあいだをくり返しトンボ返りしながら、ヒーヒー言いつつヒッコシ作業に追われているため、1日が終わると頭と目がまわってブログまで手がまわらないことがあります。前回の金曜日はそのテで更新できませんでした。これからも同じ現象が起きる可能性があります。あらかじめお知らせしておきます。

 前回、義母が遺した家に転居する上でまずしなければのは、何よりその家を整理すること、実態に即して言えば家中に繁茂しているゴミを捨てることである、と書いた。先住者には申し訳ないけど。(前回はこちら
 
 ただこの「ゴミ捨て」は、引っ越し先だけの話ではない。「引っ越し元」・・・つまり自分たちがこれまで住んでいた家でもやらねばならない。

 というのは、引越し先よりもいま住んでいる家のほうが大きい(2倍近い)から・・・ということがまずある。大ジョッキいっぱいのビールを、湯のみ茶わんにそのまま移すことはできない。

 さらに実をいうと、わが家のゴミのほうが引っ越し先・・・つまり義母が遺したゴミよりはるかに多い。家の大小、つまり絶対量の問題ではなく、面積単位で比較しても多い。
 これらはいわばわしらの “純正ゴミ” である。
 
 前回、モノを溜めこむ習性は義母には勝てないと書いたが、訂正する。わしらの “ゴミ溜め習性” は、ひょっとすると義母を上回る。
 ・・・と、義母の家とほぼ並行して自分たちの家の整理をしながら、思い知らされた。
 いやまあ、ある、ある。
 これでもかこれでもかと、ゴミ・ガラクタが湧き出てくる。
 むかし『処女の泉』という映画があったが、これじゃまるで「ゴミの泉」だ。
 
 これらの際限のないゴミらと格闘しながら、分かったことが2つある。

 1つは、人間の体は老化するといかにもろくなるか、肉体労働に弱くなるか、ということである。当たり前の話と思うかもしれないが、想像以上に情けない体になっている衝撃は大きい。

 そしてもう1つは、自分たちの一生がいかにゴミだらけであったか・・・ということを思い知らされる衝撃である。

 前者は人間の生理問題であり、後者は人生の整理問題だ。

 生理問題は多少の個人差はあっても、誰にも生じることだからまあいい。
 問題は後者である。
 
 自分たちの一生が “ゴミだらけ人生であった” と結論づけることは、正直いって「ソンナコターナイヨ!」と反発したい気持ちがないわけではない。
 しかし、現実にその残骸の山を目の前にすると、反論の余地を失う。・・・というか反論しようとするエネルギーが霧消する。自分たちがこれまでいかに営々とゴミを積み上げてきたか、ゴミ蓄積にフントー努力してきたか、そのためにムダに一生を費やしたか・・・ということを突きつけられる衝撃は深い。
 これらのゴミ・ガラクタはおのれの人生の象徴ではないか・・・と。
 
 こうした感慨を頭のなかにうろちょろ徘徊させながら、さまざまな・・・まさにありとあらゆる種類のゴミ・ガラクタと取り組み、もみ合い、ホコリにまみれながら “捨てる作業” をするなかには、どこにも人間のホコリは見いだせない。

 晩年の引っ越しで家の中の整理をしながら自分の人生に満足と誇りを覚える、という人も世の中には存在するだろうから一概には言えないけれど、年をとってからの引っ越しは、まあできることなら避けたほうがよいように思う。
 ・・・というのがわしの実感。

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当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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