あら、あんた、いたの?

キンモクセイ

 ほぼ毎日、運動を兼ねて食べものの買い出しに出かけるが、行き帰りに歩く道沿いの家の庭に、たいていある樹木が植わっている。そういう家がけっこう多い。
 
 だが、ふだんはまるで気がつかない。存在そのものが目に入らないのだ。
 枝や葉が密に茂っていてこんもりした感じなのだが、目を引くような派手なところがまるでない。しかも全体が黒っぽい。まるで歌舞伎の黒子のように、みずから存在を消しているような木だ。
 
 ところが1年に1回だけ、その樹木は黒衣を脱ぎ捨てて、錦の衣装に早変わりする。そして強烈に自己主張する。オレはここにいるぞ! と。

 だが最初はその変化が目に見えない。
 9月終わりから10月始めにかかる頃、道を歩いていると、ある日とつぜん空気の中にいつもにはない独特の気配を感じる。その気配の実体は匂いで、えも言われぬ芳香なのだが、始めは匂いというよりやはり微かな気配といったほうが実感に近い。
 
 それで気づく。ああ、今年もその季節になったのだなと。
 そして、きょろきょろと辺りを見回す。近くに、あるいは少し離れたところに、その木があることに気づく。
 
 だがパッと見にはそれまでとほとんど変わらない。うす暗いどん臭そうな木だ。
 だが近寄って目を近づけて見ると、ごちゃごちゃと繁茂した黒っぽい葉の中に、うす緑色の小さな花のつぼみがいくつもある。
 通りにかすかに漂っているものは、この嬰児のようなつぼみが放っているものらしい。
 
 翌日になると、たった1日の違いなのに、匂いははっきりとした芳香になる。昨日まで裸だった嬰児が、晴れ着をきて通りに出てきたようだ。

 こうなるとあとの変化は速い。一気に匂いは濃くなり、つぼみを開いた花は色を黄金色に変えていく。

 そして数日もすれば、芳香はむせるほどになり、木は一見、全身に金粉をまぶしたようになる。
 で、そばを通れば思わず振り返ってしまう。派手な衣装を着た主役が、舞台で大見得を切ったのを観るように。
 
 だが、それからさらに数日を経ると、むせ返るようだった匂いは忍者が呪文を唱えたように消える。
 金粉もいつの間にか枝から落ち、樹下の地面に黄金色のじゅうたんを敷く。
 そして数日後には、人の足に踏まれ車のタイヤにつぶされて、地面と同じ色のゴミになり、やがて風に吹き飛ばされて姿を消す。
 
 お察しの通り、その木はキンモクセイ(金木犀)である。
 
 毎年秋に、このようなこの木の短いパフォーマンスを見ると、人間社会にも同じような人物がいることを思う。

 一発屋と呼ばれるお笑い芸人の話ではない。
 ごくふつうの生活の場に、たいてい1人か2人こういう人物がいる。
 
 たとえば職場の同僚。
 ふだんは隅のほうで音も匂いも立てず、「あら、○○さんいたの?」なんて後輩の女の子に言われてる人物が、職場の飲み会や慰安旅行などでアルコールが入ると、人が変わったようなパフォーマンスを展開する。

 そのパフォーマンスが派手であればあるほど、日常の彼(彼女)の心の内のうっ屈が想像できて、なんとなく哀しい気になる。
 
 近所の家の庭に植えられているキンモクセイは、1年のほとんどをわが身を消して生きている間、いったい何を思っているのだろう。
 

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