第三の男、あるいは命の軽さ

第三の男

 映画が好きだ。

 とりわけ若い頃は、かなりの本数を観たほうだと思うが、なかでも忘れられない作品のひとつに、キャロル・リード監督の『第三の男』がある。
 先日、テレビの衛生放送で見て、すでに何度目かだったがまた感動した。
 
 第二次世界大戦直後、米英仏ソ4ヶ国による分割統治下にあったオーストリアの首都ウィーンが舞台である。
 戦争で受けた傷を内に抱えながら、生きるのに必死だった当時の人々の姿を、光と影を巧みに用いた白黒映像のなかに描いて、名作として知られる。
 
 たしかに出だしから引き込まれる。
 むかし初めて映画館で観たときの感動を、リアルに思い出す。館内が暗くなって映写が始まると、スクリーン上に数本の糸のようものが横に並ぶ映像が映しだされる。音はない。

 何だ、これは? と思っていると、その横に並んだ糸が震え始める。
 と同時にその震えにシンクロして音楽が入る。映画のテーマ曲であるアントン・カラス奏でるチターのメロディーだ。

 それは一見(一聴?)賑やかそうでありながら、その底にえも言われぬ哀感を潜めている。その明るく切々としたメロディーは、初めて聴く者の心を一瞬にしてつかむ。

 このテーマ曲が象徴するように、物語に含まれるものも深い。
 それを表現する名シーンも多い。
 
 その一つ。
 主人公の、ジョセフ・コットン演ずる米国の三流作家(ホリー)は、自分をアメリカから呼び寄せながら突然姿を消した親友ハリー(名優オーソン・ウェルズが演ずる)を、戦争で荒廃したウィーン中に探し回る。

 そのうち、実はハリーが人間として許されない非道な悪事を働いていたことが分かり、愕然とする。
 何かの間違いではないか。真実としても、なぜそのようなことになったのか、理由が知りたくてホリーは当局の捜索隊と連絡を取りがら探索をつづける。
 
 ようやくハリーと連絡がとれ、密かに会うことになる。
 それが捜査当局の知るところとなり、ハリーの逃走劇が始まる。ホリーもいっしょにハリーを追う。

 やがてハリーは逃げ場を失い、ウィーンの地下水路に逃げこむ。
 迷路のようなその地下水路の中で、ハリーと追っ手とのスリリングな追跡劇が繰り広げられるシーンは、後世に語り継がれる名場面。

 画面を右に左に傾けながら、闇に溶け込む人物を追う。
 追っ手が手にする光源との距離によって壁面に大きく伸び縮みする人物の影や、地下水路内に反響する靴の音などを巧みに使いながら臨場感を盛り上げたリード監督の演出は、新鮮で衝撃的だった。
 それに比べれば、近ごろの映画のカーチェイスなど子供だましだ。・・・とわしは思う。

 悪逆の道に堕ちたかつての親友ハリーを追ったホリーは、ついに地下水路の一角に重傷を負った友を追い詰める。質問には答えず、もはやこれまでと観念したハリーに促されて、引き金をひく。
 こうして親友の手による自らの最後を選び、この世から消えていったハリー。

 ウィーン郊外の広大な墓地のはずれで、ホリーほかわずか数名が参列して埋葬が行われる。
 そのなかにハリーの恋人だった女(アンナ)もいる。
 実はホリーは、ウィーンでハリーの謎を追う過程でアンナと行動を共にすることが多く、いつしかアンナに恋心を抱くようになっている。
 
 もう一つの名場面として知られるのが次のシーン。
 ハリーの埋葬を見届けて墓地を去るとき、ホリーは墓地の出口付近の路傍でアンナを待ち受ける。
 カメラは遙か遠くに、米粒のように小さなアンナをとらえる。

 時は晩秋。頭上には一面冷たい灰色の空が覆い、道の両側には背の高い裸木が立ち並ぶ墓地内の、完璧にシンメトリーな画面。

 その画面中央、落ち葉の散り敷く道をアンナがまっすぐに歩いてくる。
 それを迎えるカメラは、微動だにしない長回しのワンカットで、延々と撮りつづける。

 アンナの姿が少しずつ大きくなる。
 その画面に、本作品のテーマ音楽・・・深い哀切を含んだ賑やかなチターのメロディーが高く低く切々と流れる。

 その長いワンカットのあいだに、観客は、人間が生まれて生きるというのはどういうことか、人間の命とはどれほどのものなのか・・・と考えずにいられない。
 たしかに名シーンだ。

 だが、この映画がわしに最も強い印象を残したシーンは別にある。
 破壊を免れた公園の巨大な観覧車に、ハリーとホリーがふたりだけで乗って話を交わすシーンだ。

 ふたりの乗ったゴンドラは、ちょうど一番高い位置にきている。
 親友の不審な言動を問いつめるホリーに、ハリーはゴンドラの窓から遙か下方の地上を見下ろして言う。

「あそこでごちゃごごちゃ蠢いている無数の黒い蟻の、一匹や二匹が地上から消えたからってどうってことはない。このあいだの戦争では、何千万という人間が殺されて消えたんだ。そして殺した奴は英雄だ・・・」
 
 当時青年期だったわしは、ステレオタイプの物言いではなく、現実をリアルに見つめる作者の目に感動したのだった。
 
 もっとも現在のわしの感動は、そんな洗い立ての大根みたいな感動ではなく、もう少し複雑ではあるがね。
 

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