命長ければ恥多し

恥辱

 のっけからナンだが、何かの拍子に、かつての自分の失敗や愚かな言動を思い出して、恥ずかしさで体がカッと熱くなることってない?

 自慢じゃないけどわしにはある。
 さすがに最近は頻度が減ったが、以前は前後の脈絡なく何かの拍子にそいつがふいに襲ってきて、「うう~ッ!」みたいなうめき声をあげたものだ。
 隣に人がいると、「どうしたの?」と怪訝そうな目を向けるので、「いや何でもない」と平静を装うのがたいへんだった。
 
 そこでわしはこの発作に備えて、心臓病のニトログリセリンのようなクスリを常備し、外出時にも携帯していた。べつに重荷にならないのでね。
 
 そのクスリとは、じつは先人の残した言葉である。
 
「命長ければ恥多し」

 この言葉を念仏のように頭の中でくり返す。
「ナムアミダブ、ナムアミダブ」と言うかわりに、「イノチナガケレバハジオオシ、イノチナガケレバハジオオシ・・・」と唱える。
 すると、憑依した悪霊がお経の力で退散するように、過去の恥辱感や屈辱感で生じた頭への血の暴走が、徐々に鎮静化へ向かうというわけだ。

 ところでこの俗諺は、ちょっと視点をずらすと、「命長ければ秘密多し」と言い換えることもできる。
 思い出すだけで恥ずかしさで体が熱くなるというのは、だいたい、人には隠しておきたいケースが多いからだ。

 ・・・というわけでわしもこの種の秘密を、自慢じゃないけどけっこう隠し持っておる。大小濃淡品揃えも豊富だ。

 中には、一生隠したまま棺オケへ持って行くつもりのものもあるが、まあそれほど張り切らなくてもいいのでは・・・と思うのもある。
 
 実をいうと、このブログも最近ネタにこと欠きがちなので、これまで誰にも話さずにきたこのたぐいのプチ秘密を、ときどき告白して書いてみようと思う。

 あと生きてる時間は多くないのだから、ウラ恥ずかしいなどと言っても意味ないからねぇ。
 
 さてきょうは、そのプチ告白の第1弾である。
 当ブログは年寄り臭い話が多いので、とびきり若いときの話にする。
 
 そのときわしは19歳だった。
 志望大学の入試に落ちて、そのまま田舎には帰らず、東京に残って予備校に通っていた。親にはよけいな負担をかけて申し訳なかったけど。
 
 その予備校で知り合って、仲良くなった友人がいた。
 予備校には友だちのできる雰囲気はあまりないのだが、その男(仮にAと呼ぶことにしよう)とは妙にウマが合って、ときおりお互いの家(わしのほうは下宿)に泊まって、深夜までダベリングして息抜きをするような関係になった。
 
 その頃のわしらの関心ごとといえば2つしかなかった。
 一つはもちろん受験だが、もう一つは女・・・というかセックスだった。つまり受験のことを考えるとき以外は、大なり小なりいつも性的なことが頭を支配していた。

 少年時代は食糧難で、考えることといえば食うことだったが、この頃はようやく貧しい食糧事情から脱し、年齢も青年期に入って、頭の中をうろちょろ蠢いているのは多く異性のことだった。ありていに言えば性への欲望。
 
 考えてみれば当時のわしは、生きものの本能に極めて正直に生きていたわけだ。少年時代は個体保存本能、青年時代は種族保存本能・・・ってわけね。

 「少年よ大志を抱け」という言葉を知らないわけではなかったけれど、大志どころか志そのものもモヤシ(志)みたいなものしか抱いていなかった。ま、恥ずかしながら、万物の霊長として生きる意識のきわめて低い、動物本能にベタな生き方をしていたと言っていい。
 
 そんなとき、その予備校で知り合った友人Aが、突然スゴイ話を持ちかけてきた。
 スゴイというのは、まだ童貞だった当時のわしにとっては・・・という意味だけどね。
 
  (この話、すこし長くなりそうなので、続きは次回に回しマス。次回はこちらから)

 

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