同じ空気が入っている

女性蔑視発言

 先ごろ日本のマスコミをもっとも賑わした人物は、東京五輪・パラリンピック組織委員会 前会長・森喜朗サンだろう。
 
「会議に女性がいると時間がかかる」などと余計なことを口にして、日本はももちろん世界からも袋叩きにあい、会長を辞任した爺さん。

 それも、最初は辞めないとガンバッテいたのだが、その強気を支える骨が骨粗しょう症でもちこたえられず、あえなく崩れ落ちた。
 ひとごとじゃない。
 
 この爺さん、じつはわしと同じ年にこの世に出てきている。
 べつにつるんで出てきたわけじゃないから、何もわしが引け目を感じる必要はないんだけど、同い年というだけで、世間からある種の色眼鏡で見られる・・・んじゃないかと小心者は思ってしまうの。
「えっ、あのモリさんと同い年?」
 あとは何も言わなくても、ハラのなかで何を思っているか分かっちゃう。
 
 とはいうものの、ヒマにまかせてちょっと考えてみると、同じ時代に生まれ、共にその時代の空気を吸って育ったんだから、人間性のなかにあるていど同じものが入っている可能性は、確かにあると思う。
 
 早い話、モリさんのこんどの女性発言にしても、ひょっとするとわしの中にも同じもの、あるいは似たものが底の方で流れているかもしれない。自分ではぜんぜん違うと思っていてもね。

 表に出てくる具体的ことばは、家庭環境や教育環境の違い、現在おかれている立場の違い、そして当人の性格や心臓の大小などの違いによって異なるかもしれない。
 しかし、本人さえ意識しない底の底には、時代が手を差し込んでこね回して作った女性に対す感覚・感性・・・つまり女性意識の核のようなものがあって、それは入れ歯のように簡単に取り外したりできないものなので、モリ爺さんと同じようななモノが体の底で寝ている可能性はある。
 
 同年代、あるいはもっと年下のおエライいさんまで口々にモリさんを非難しているけど、内心では「よかったよ、うっかり口を滑らしたのが自分でなくて・・・」とホッとしている人がけっこういそうな気がする。
 
 わしもこのブログで、女性問題に限らずさまざまな事柄について、昭和初期時代の色や匂いが沁みついたアナクロ的な発言をしているかもしれない。いや100%しているだろう。

 だからこそ、その自覚を持っていることが必要だと思う。そうすれば多少は自己チェックが働いて、ひとを不快にするような発言はしないよう心がけるんじゃないか。
 
 モリさんにもその自覚があったら、新聞記者がいる場で、不用意にあのようなことを口走ったりしなかっただろう。
 
 ともあれ、生まれた環境が人間に与える作用は大きい。
 その環境の空気・・・匂いや色や形、その他目に見えないもろもろのものまでが、当人も気づかぬうちに骨の髄にまで沁みこんで、多くはほとんど死ぬまで居すわり続ける。老いて骨粗しょう症になってもね。
 
 雀百まで踊り忘れず・・・っていうけど、人間の雀は、見苦しい踊りをするやつがけっこういるからねぇ。当人はそうと気付かないで・・・。
 
 せいぜいわしも気をつけなきゃあ。
 

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当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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