ある夫婦の事情(中)

 今はむかし、怠惰な学生だった頃、わしはとある民家の2階の1室を間借りしていた。壁1枚へだてた隣に若い夫婦が住んでいて、その夫婦の話を前回から書いている。今回はその続き。(前回はこちらから)
 
 彼らの夫婦仲はすこぶる良いようだったが、やたら喧嘩もした。よくそれだけケンカのタネがあるねぇ、というくらい。

 ・・・という話を前回に書いたが、現場を目撃したわけではなく、声を聞いただけだ。それももっぱら奥さんの声だけ・・・。
 ついさっきまで笑い声がしていたのに、ふいに声の調子が変わったと思ったら、だんだん大きくなり、やがてヒステリックになる。

 しかしダンナの声はまったくしない。で、いないのではないか、奥さんの独り芝居・・・ダンナが帰ってきたら仕掛けるつもりの喧嘩のケイコをしているのでは・・・などとと思ったほどだ。

 ダンナは当時、東大医学部の学生だった。
 もともとは文学部だったらしいのだが、お嬢さん大学の英文科に通ってた奥さんと何かのサークルで知り合い、恋愛し、結婚した。
 
 結婚するとき、奥さん側の親が男に条件を出した。
 医学部に入り直して医師免許をとり、病院経営の後を継ぐこと。そのために必要な費用はすべて自分たちが出す。
 それに同意しなければ娘との結婚は絶対に許さない、と強硬だった。
 
 ダンナが結局その条件を受け入れたのは、惚れた女と結婚するには仕方がないと腹をくくったのか、貧しい農家の三男には思ってもみなかった人生展開で、チャンス到来と前髪をつかむ思いで飛びついたか・・・は聞きもらしたが、まあそんなとこだろう。

 それにしても、ダンナはちゃんと医学部に入り直したのだから、口は動かなくても頭は相当によく動く男だったにちがいない。奥さんの親もそこを見込んだのだろう。
 
 ・・・などといったこれらの話はすべてキッチンで、尋ねもしないのに一方的に聞かされたことである。

 いま思うと、奥さんは単に壊れた水道栓ではなかったかもしれない。
 このあとに述べるように、夫婦仲は良くてもこの夫婦はある深刻な問題を抱えていた。それでたびたび喧嘩もし、ストレスもたまった。そのはけ口の相手として、授業にも出ずゴロゴロしている隣室の学生が利用されたのにちがいない。ま、手軽だもんねェ。
 
 ある夜のことだった。この若夫婦に、いつもの喧嘩のレベルを超えたちょっとした事件が起きた。・・・のだが、それを話するとなると少し長くなるので、詳細は次回で。

 

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