髪は心のショールーム

化け猫

 わしの義父(カミさんの父親、ほぼ20年前に死亡)は明治生まれの毒舌家だったが、かつてちょくちょく口にした言葉にこんなのがあった。

「猫と女は化けるから気をつけろ」

 断っておくが、昭和生まれのわしはそんなことは言わないヨ。
 
 で、典型的な明治男だった義父が口にしたこの言葉は、明らかに男尊女卑的意識が社会の底であぐらをかいていた時代の産物であろう。
 
 そもそも「化け猫」という言葉は江戸時代からあり、「行燈の油を舐めて妖怪に変貌する」といった俗信が、まことしやかに世間で語られていた。義父の言葉はそれを踏まえての言い回しである。

 ところが今や猫は「可愛い」の王様だ。
 マスメディアの広告など、ネコさえ出しとけば大丈夫・・・と言わんばかりにあっちでもこっちでも猫だらけだ。
 
 この猫の変貌ほどのスピードはないが、女性に対する社会の意識も少しずつ変わりつつある。明治の尾てい骨を残した男が、汚い尾骨をポロリとさらして物議をかもすことは、ま、ときたまありマスけどね、先のJOC会長のように。

 さて、実をいうと、ここまでは落語でいえばマクラです。これからが本題。大した本題じゃないデスけど。

 時に応じて、あるいは場所に応じて人間が化ける・・・もとい変貌することは誰にでもある。基本的に女も男も変わりはない。

 だが、ていどの差はあれ、ふだんお化粧をする女性のほうが(今は一部の男性もするけど)、より変わり目が目立ちやすいということは確かにある。
 髪形やお化粧をすこし変えただけで、同じ女性が大きく印象を変える例は、日常でもちょくちょく目にする光景だ。
 
 わしにとってとりわけ気になるのは髪である。
 女性と会って顔のつぎに目が行くところは髪だ。(もちろん胸やお尻へ行くこともあるけど、それはちょっと筋の違う視線なので今は触れない)

 その髪も、時間と金をかけて念入りにセットしてあるかどうか、というようなこととは関係ない。
 髪にちゃんと気遣いが行っているかどうかである。
 
 つねづねわしは思うのだが、髪はその人の心の状態をそのまま見せている所のような気がする。

“目は心の窓” という言い方があるが、そのデンでいけば、 “髪は心のショールーム” である。
 
 女性の人生途上、なにをやってもツイてなかったり、うまくいかないことが続いて心が荒れているときは、頭の上もそんな感じの乱れた髪がのっている。
 
 そういう状態がさらにひどくなって、生きてることがイヤになり、ヤケッパチになっている女性の頭は、ゴミ箱に捨てられた糸くずのような髪をしているにちがいない。

 テレビで見たことがあるが、近所の迷惑もかえりみず荒れ放題にしているゴミ屋敷の老女は、まさにそんな感じの髪をしていた。
 
 逆につつましやかでもスッと背筋を伸ばして生きている女性は、いつ会ってもきちんと髪が整えられていて、向かい合うだけで気持ちがいい。しばらく話をしていると心がすがすがしくなり、尊敬の気持ちさえわいてくる。つまり彼女は、髪に表れているような生き方をしているのだ。
 
 そんな話をたまたまカミさんとの雑談でしていたとき、彼女はこんな経験を話した。

 ときおりうっかりしいて、ゴミ収集車の音が聞こえ出してから、おっ取り刀でゴミ袋を手に外へ走り出すことがある。
 そんなときは、収集場所のゴミを収集車に放り入れている最中の係員と顔を合わすことになるのだが、その際の彼らの対応が、そのときどきの彼女の髪の状態によって違うという。
 つまり髪をきれいに整えているときは丁寧な対応をするが、間に合わなくて乱れた髪のまま飛び出たときは、つっけんどんで不愛想な応対をするという。
 
 へ~、おもしろい。ありそうだ。
 モノの本質は、こうしたありふれた日常の些事の中にこそ現われるからねぇ。
 

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