アンチ断捨離系

アンチ断捨離

 なんども書いているが、わしら夫婦は、亡くなったカミさんの母親が遺した家に住んでいる。
 
 義母の死は急だったので、家のなかは、彼女が生活していたときのモノがそのままそっくり遺された。

「断捨離」が大きな顔して大通りを歩いている時代だから、もちろんガンバッテ捨てたよ、できる限りね。

 ところが悲しいかな、モノのない時代に生まれ育ったわしらには、モッタイナイ精神というヤツがシミやシワの中にまで住みついている。このシミおっさんやシワおばはんが足を踏ん張って、捨てようとしてもなかなかウンとクビを縦に振らないの。

「コレ、使い方しだいでまだ十分生かせると思わない?」とか、
「この服、おそらく一度も手を通してないと思うわ。匂いが新品だもの」
 みたいなことを言って、結局、半分くらいはダンシャリのダンナの手をすり抜けてしまった。
 
 ま、わしら世代には共通する光景だと思うが、ただちょっと違うのは、その後の経過だ。
 
 ふつうは、そうして捨てられずに溜めこんで、結局その後も使うことなく場所ふさぎに役立たせるだけ・・・というのが一般的だと思うが、わしらは捨てずに残したものを、場所ふさぎにせずけっこう生かして使っているのだ。
 
 食器類など、
「あ、この大皿、アレをのせるとミスマッチで面白いんじゃない?」とか、
「このアルミ鍋、少しヘコんでるけど使い勝手がいいワ」
 などと言って結局使っている。

 だが一番利用しているのは衣類だ。
「この服、わたしにピッタリだわ。ちょっとオシャレだと思わない? お母さん、けっこういいセンスしてるわ」
 
 正直いってこれは意外だった。
 なぜなら、母親がかつてそれらの衣類を着ていたときには、「とにかく地味が好きだからねぇ、お母さんは・・・」
 と、いかにも老人くさいといった顔を陰でしていたからだ。
 
 それをいまは自分にピッタリでオシャレ・・・と言っている。
 これは要するに、老人くさい老人に今の自分がなっている、ということじゃないの? と突っ込みたくならないわけでもないけど、あえて言わない。

 タンスのコヤシで終る運命のものが、せっかく生かされて使われているのだもの。しかも当人がよろこんで・・・。わざわざ水をさす理由はどこにある?・・・というくらいの判断は、半ボケ頭の残り半分にでもできる。
 ま、別の見方をすれば、要するに夫婦でケチの揃い踏みをしている・・・ってだけのことだけどね。
 
 改めて断るまでもないが、義母の残した衣類を活用しているのは、もちろんカミさんの話だよ。わしには女装趣味はないから。

 ・・・と書いておきながらいささか筋の通らない話だけど、実をいうと、わしも義母の残した衣類を一部利用させてもらっている。
 
 義母は90歳を超える頃には小さく縮んでしまったが、もともとは大柄な女性だった。だから若い頃に買ったと思われるモヘアのカーディガンなどは、袖丈がちょっと短いのを我慢すればわしにも着れる。
 
 冬の寒いときなどに、上からちょいと羽織れば高級品だけにとても快適だ。で、ちょくちょく快適にさせてもらっている。

 もちろんそれを着て外に出たりはしないよ。あくまで家の中専用の防寒対策として。
 
 ・・・であっても、洗面所などでヘンに赤っぽいカーディガンを羽織った爺さんが鏡に映っていたりすると、分かっていながらちょっと顔をそむけたくなるけどね。
 

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当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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