姉の恋
2021年10月29日の当ブログ記事『思い出の五右衛門風呂』に、高校時代の姉の輝く全裸をぐうぜん目撃し、中学生でまだ童貞だったわしは情けなくもフリーズした話を書いたが、今回はその続編・・・みたいなもの。(『思い出の五右衛門風呂』はこちら)
姉は高校卒業後に幼稚園の先生になった。その幼稚園は、村の小・中学校と同じ敷地にあって、運動場は幼・小・中で共有であった。
で、姉は中学校の男の先生と恋に落ちた。
姉も落ちたがその頃わしも落ちていた。志望大学にである。で、実家でぼそぼそと浪人をしていた。
悪いことは重なるもので、その年は母親が心臓喘息を病んで、隣町の病院に長期入院した。父親もその看病で家にほとんどいなかった。
老衰(今なら認知症?)の気配が出ていた祖母の介護、わしら弟2人の食事や洗濯の世話、その他家事全般が20歳を出たばかりの姉の肩にのしかかった。
そういう状況の中だからこそ、恋の火は燃えやすかったのかもしれない。
さらにまずいことに相手の男性には、何か結婚を急がねばならぬ事情があるらしかった。
しかし母親が重病で、結婚話を持ち出すには、いかにもタイミングが悪かった。
それでも思い切って遠回しに打診してみると、父に頭から反対された。少なくともすべては母の快復退院を待ってからの話にしろと、聞く耳を持たなかった。
あれやこれやが一挙に襲いかかって、一種パニック状態になった頭を、姉は支えきれなくなったらしい。
ある夜遅くだった。
受験勉強中のわしの部屋へひっそりとやってきて、畳の上にペタリと横座りになった。
どうしたのかと訊くが、古畳のほつれを指先でいじっていて、なかなか口を開かない。
が、やがて、
「○○ちゃん(わしの子供の頃の呼び名)、わたし・・・どうしたらいいの?」
と、そのときにはすでに涙声だった。
相手の男性が結婚を急ぐ理由は次のようなものだった。
実は彼は姉と知り合うまえから親が薦める許婚同然の女性がいた。姉とすぐ結婚できないのなら、その女性と挙式しないわけにいかない事情があらしかった。
そんな大人の入り組んだ相談を持ちかけられても、受験だけですでに頭がヨレヨレの浪人生に、まともな返答などできるはずがない。
姉だって本気で助言を求めてきたわけではなかったろう。
実際、折り紙みたいに黙って聞くだけだったわしに、ひと通り話し終えると姉は立ち上がって、来たときより多少すっきりした顔で部屋から出て行った。古畳のほつれを少し大きくして・・・。
結局、姉はその恋人とは結ばれなかった。数年後に別の男性と結婚した。
その結婚生活も辛いことが多かったらしく、ストレスから過呼吸症候群の発作を持病のように頻発させた。
息抜きが必要だったのか、姉はふいに数日間、家を飛び出すクセがあった。親孝行のつもりで母親をつれ出していたわしらの旅先に、とつぜん彼女もやってきて4,5日合流したこともある。
連れ合いは数年前に亡くなった。
今は息子と穏やかに暮らしている。
現在88歳になる姉の人生は、むろん辛いことばかりではなく、楽しいことや心弾むこともあったにちがいない。ま、人並みの人生だろう。まもなく終着駅に到着する。
それにしても人間って、何のために生まれてくるのだろうねぇ。
当ブログは週2回の更新(月曜と金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。