脳梗塞の急襲!(その3)

脳梗塞の急襲!

 当ブログ記事の前回は、わしの人生に青天の霹靂を落として稲妻を走らせたヤツ(脳梗塞の急襲)の、外から見える様子を書いた。(その記事はこちら→前々回前回

 外から見える障害はまあこれぐらいだが、より大きな問題は内に与えたダメージのほうだろう。
 
 病院に運び込まれて、初期治療を施され、ベッドの上に寝かされていた最初の1日2日は、まとまったことは何も考えられなかった。
 森の奥にある暗い沼の上に、居心地わるく放り出されて、漂っている感じだった。

 ただ、ときおり沼のほとりの草むらからを飛び立つ蛍のように、ひとり家に残されているカミさん姿が頭に浮かんだ。

 近ごろ彼女は物忘れが急激に進んでいる。認めたくないが認知症すれすれだ。いやもうすでに入り口へ入っているかもしれない。独りで生活するのが難しくなっている。

 そんな足元の覚束ない彼女が、突然ひとりにされて、不安でうろうろしているのではないか。・・・そんな思いが頭の中でちらちらした。辛かった。

 が、そのうち、このような状況に立ち至ったのは紛れもなく運が悪いし、その悪い状況が自分に与えられたのは口惜しいけれど、悔やんだところでどうにもならないことに気づく。
 なんでわしに・・・などと身の不運を嘆いたところで、何かがなんとかなるわけじゃない。

 今の自分にできることは、ただ一つ、目の前にある現実を認めることではないか。
 目の前にある現実をあるがままに受け入れて、その上でその現実にどう対応するか、自分に何ができるかを考えることだ。
 実際それ以外にできることは何もないではないか。
 
 世の中にはさまざまな人がいる。
 まいにち美女の膝の上にのってウマイものを食っている者もいれば(発想が古臭いネ)、いきなり隣国に攻め込まれて家を破壊され、家族を殺され、避難民になった人もいる。
 また、たまたま数日前テレビで見たが、全身の筋肉が麻痺し、動かせるのはわずかに瞼だけ・・・という超難病にかかった人もいる。
 
 そうした人たちにとっては、どんなに理不尽であろうと、それが現実として自分に与えられたものであれば、その現実を目の前から消し去ることはできない。

 どんなに不条理でも、どんなに口惜しくて、どんなに腹ワタが煮えくり返ろうとも、現に目に前にあるものを無かったことにすることはできない。
 要するに絶対に、与えられた現実から逃がれられない。
 
 それがこの世に生きている者の定めだ。一人の例外もなく・・・
 
 そう思うと、前ぶれも理由もなくとつぜん与えられたわが脳梗塞も、まあ仕方がないか・・・という気持ちにもなった。

 先に述べたウクライナの人たちや、わずかに瞼を動かすしかコミュニケーションができないような人たちのことを思えば、わしの脳梗塞など蚤か蚊に噛まれたみたいなもんだ、と。
 
 ・・・などと、人と較べて自分の方が軽度であることで気安めするという、なんとも低俗な救いにしがみついたのである。それ以外に手がないからねぇ。
 
 思えば情けない話だけど、その情けないのがわしの目の前にある現実である。
 
 これが人生だと肚をくくる以外にない。

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