ついにやって来た?(3)
前回からの続き。(前回はこちら ①、②)
その日、カミさんはひとりでいつものスーパーへ買い物に行って、帰りにかかりつけ医に寄った。
このごろはカミさんが医者へ行くときは、たいていわしが一緒についていく。
医者とのコミュニケーションに問題はほぼないのだが、医者の言ったことをほとんど覚えていられないので、記憶係りが必要なのだ。まあパソコン付属のUSBメモリみたいなものネ。
ところがこの日は、小さな報告をこちらからひとつ医者にするだけだったので、メモリは不要だった。わしも他にすることがあったので、カミさんはひとりで出かけた。
ぶじ帰ってきた。
インターホンが鳴り、わしが玄関のドアを開けに出て、すべて問題なくぶじ済ませてきたわよと、上機嫌に自室へ入っていった。
そしてまもなく、ひきつった青い顔をして出てきた。財布がないと言う。
わしはすぐには信じなかった。
前回にめんど臭いくらい書いたように、日ごろあれだけウルサク言っているのだ。きっと身辺を探せば出てくると思った。ちょくちょくあるのだ、いつもは使わない場所に無意識のうちに入れていることが・・・。
まず、着ていった衣服のすべてのポケットをひっくり返した。底に溜まっていたワラ屑は出てきたが、財布は出てこなかった。
持っていったバッグや小物入れの中も、もちろんあらいざらい探索した。
自室に入ってすぐ無意識に取り出して、その辺に置いた可能性もあった。室内を徹底的に点検した。
もはや探すところはなかった。
そこでこの日に家を出てからの、カミさんの行動をシラミ潰しに追跡した。
玄関を出たときは間違いなく財布は持っていた。中に入れている鍵で、玄関のドアにカギを掛けたからだ。
それからまっすぐにスーパーへ行き、買い物をして、レジを済ませた。このときもまだ財布は手許にあった。中に入れてあるクレジットカードで支払いをしたからだ。
そのあと一直線にかかりつけ医へ赴き、医者と面談した。
その日はその月の最初の診察日だったので、診察券といっしょに健康保険証も必要だった。両方とも財布の中に入れてある。つまり、ここまでは確実に財布は彼女の手の内にあった。
診療所を出て、あとはどこにも寄らずにまっすぐに家に帰ってきた。
・・・とカミさんは言う。途中でどこかに寄り道をするとか(・・・たとえば隠し愛人と密かに逢って何かしてきたとかネ)というようなことは神かけてないと断言した。
で、わが家の玄関に着いて、インターホンを押し、わしが迎えに出て、ご機嫌に自室に入って、財布を取り出そうとしたら、なかった。・・・という。
その通りなら、当人は “神隠し” と言いたくもなろう。
しかし、本人が無意識のうちに失った可能性のある場所は、少なくとも2ヵ所ある。
わしらはすぐ出かける用意をして、控えの鍵で玄関に施錠をし、ふたりしてまずかかりつけ医へ直行した。
受付けで支払いを済ませた後、診療所内でうっかり落とした可能性があった。
クリニック側は、財布がどのような外観かを訊ねた上で、スタッフ全員に確かめ、受付け台にも残されていなかったし、拾いモノの届け出もなかったと、気の毒そうに言った。かすかに迷惑そうでもあった。
わしらは大して広くもない待合室を探し廻った。
他のお客たちの足元あたりに視線を走らせるのだから、嫌な顔をされるのは当然だが、紛失した財布の中身を考えると、そんなことで怖じ気づいてはいられなかった。「ちょっと落とし物をしましたので・・・」とぼそぼそ断りながら、椅子の下までしゃがみこんで目を走らせた。
トイレには行かなかったとカミさんは断言したが、行ったのを忘れちゃってるのかもしれないし、拾った人がトイレで中身を確かめたあと、放り出した可能性もなきにしもあらずと思い、トイレ内のタンクの裏側から、頭上の棚のトイレペーパーの下まで探した。
後は診療所から家までの路上だった。
来るときもいちおう目を光らせながら来たが、帰りはさらに念入りに、道端の草の根の一本々々を視線で掻き分けるようにして探しながら帰った。
もはや探す所はどこにもなかった。
”隠し愛人”は冗談にしても、帰途どこかに寄り道したのを忘れている可能性も、このケースでは考えにくかった。
結局は診療所内か道中のどこかで落として、誰かに拾われてポケットに仕舞われたと考える以外になかった。
多額ではなかったが現金も入っていたし、クレジットカードやSUICAは、その筋の人間だったらすぐ利用できる。
世の中は清く正しい人ばかりじゃないのだから・・・と、自分もその一人であることは忘れて、苦い思いを噛みしめた。
ただ、きれいさっぱりと諦め去るというわけにはいなかった。事後処理に大変な労力と時間が要る。その煩わしさを思うとほとんど生きる意欲を失う。
カミさんも落ち込んで生気を失った。
ふだんの “脅し” が念入りだったから、ここにきて急に効いてきのかもしれない。本当は紛失した後でなくて、問題を起こす前に脅しは効いていてほしかったのだが・・・。
なにもせず放っておくと、事態はさらに悪化する可能性があることに気づいて、とにかく今できることは何かを考え、まずクレジットカード会社に紛失届けをして、不正使用が出来ないようにしてもらった。
幸い直近で使われた形跡はないようで、不幸中の幸いだった。当該カードは直ちに廃棄処分にして、新規のカードが送られてくることになった。
所轄の警察署にも一応「遺失物届け」を出した。
ひょっとするとすでに拾い物の届けが出ているかもしれないという期待を、どこかでかすかにしていたおのれのお人好しかげんを冷笑した。
その際、落とした財布の中に入っていたものを警官に訊かれて、ありのまま列挙したら、なぜそんな常時不要なモノまで持ち歩くのかと、これはもうほとんどあからまさに冷笑された。一々説明するのも面倒なので黙っていると、年齢を訊かれ、正直に答えたら、もう一回笑われた。・・・ように思った、ひがみかもしれないけど。
あとはもう何もできることはなかった。
とにかく恐れていた最悪の事態が、ひそかな予想をコピペしたように現実になったことに、おのれの人間の甘さを改めて思い知らされた。
人間ってヤツはつい自分に都合のよい方へ考えちゃうんだよなぁ・・・って自分のことデスけどね。
ともあれ、健康保険証やマイナンバーカードその他の、紛失届けと再発行手続きのことを考えると、もう一回死にたくなった。
だからといってカミさんを責める訳にもいかなかった。
なにか悪いものがあるとすれば年を取ったことだ。
それは百も分かっているので、また、何があろうと目の前に与えられた現実はあるがままに受け取ることを最近は日頃モットーにしているはずなのに、苦い現実を受け入れるのはやはり辛い。人生は結局死ぬまで甘くはないな・・・などとじくじく思った。
ところが、その人生は、ときおり訳の分からないことをする。
ここまでルル述べたこの出来事には、実は、思いも寄らない結末が用意されていたのである。ホントに人生は訳が分からない。
何で?! どうしてこんなことが有りうるの!?
・・・と思わず口から声が出たが、理由は分からないし、説明のしようもない。
が、とにかく次回にその事実をそのまま書いてみる。
当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。
心配ですね。何かが紛失することは本当に気分悪いことは良く分かります。無事に出てくると良いですね。