ついにやって来た?(4)

この世

 老人の、老人による、老人の舐めるニガみ。

 年寄りになれば多かれ少なかれ、誰もその苦みを味わわされる。避けて通れない。

 例えば、普通に飲み込んだ食べものが、食道のほうへは行かず、勝手に気道のほうへ行ってしまうことがある。歩き始めの幼児みたいに。

 喉の筋肉の衰えが原因で、医学用語で「誤嚥(ごえん)」というが、これ、実際に経験してみると分かるけれど、咳こんでけっこう苦しい。「五円玉」を誤って飲み込んだより遙かに苦しい。・・・って五円玉を飲んだ経験はないけど、とにかく激しいときは息も絶え絶えになることもあり、もがき苦しむ。

 これは、長く乗った車の車軸が摩耗するのと同じで、老人になれば誰にも起こりうる老人必須の肉体的ニガ味老化によって現われる認知症が、その代表だろう。

 
 わしら夫婦もその認知症の庭に、さいきん足を踏み入れた実感がある。
 先だって、その具体的現れとも思われるヤッカイな出来事が起きた。
 その経緯を前回までに詳しく書いたが、今回はその4回目なので、面倒でもここまでのイキサツにざっと目を通しておいて頂きたい。(前回まではこちらから
 
 生活の中で最も大切な持ち物、財布。
 しかもその財布の中に、日ごろ生活するうえで無くてはならない特別に重要なアイテムを、意識的に集めて入れてあった。

 もしそれを失うとたちまち致命的に困るぞ、といういことを、われらの認知症に突きつけて闘うためだった。
 ここ数年、わしもだが特にカミさんに多くなった「あちこちにモノを置き忘れる初期認知症」に、敢えて、勇を鼓して戦いを挑んだつもりだった。
 
 しかし、この戦いにわしらはあえなく敗れた。。
 現実に対する認識が甘く、浅はかで、水車に立ち向かったドン・キホーテに譬えるのも気が引ける。
 
 たいして時を経ずしてカミさんは、見事にその財布を紛失したのである。
必死に探しまわったが出てこなかった。

 前回の当ブログに、生きていく意欲を失ったと書いたが、それは、その財布の紛失によって大変な労力や煩わしさが生じるからだけでなく、わしらの認知症が実はここまで勢力を伸ばしていることを、改めて思い知らされたからである。

 その事実を目の前に突きつけられたわしらは、意気消沈した。
 直後、テレビもつけず、音楽も流さず、うす暗い居間の椅子に座りこんで、ただぼうっとしていた。
 第三者が傍から見れば、生ける屍になった2匹の人間の生体標本を見るようであったろう。

 どれほどの時間そうしていただろうか。
 長いような短いようなナメクジみたいな時間。後で分かったが、ほぼ2時間以上、そうやってナメクジをやっていたようだ。

 玄関のドアの方でバタンという音がした。

 わが家の玄関の扉には郵便受けが取り付けてある。外から入れられた郵便物を、家の内から取り出せる。朝夕に配達される新聞もここに投入され、そのたびにバタンとという音が居間にいても聞こえる。今の音は郵便受けの蓋が閉まる音だ。

 しかしこのときは、新聞の配達される時間ではなかった。郵便物も近ごろは一日一回の配達で、いつも夕方だ。

 この時の郵便箱に何かが入れられた音は、いつもより奇妙に高く聞こえた。わしらは思わず首を上げて、顔を見合わせた。
 そして、そのまましばらく、顔を見合ったままじっとしていた。
 わしらの胸と胸のあいだを何かが行き交ったが、それが何であったかを説明するは難しい。

 わしがようやく何かに操られたように椅子からノロノロ立ち上がったのは、音がしてから十数秒経ってからだ。何かを恐れるように(何を恐れていたのかを説明するのも容易ではない)、わしはソロソロと玄関の扉に近づいて行った。

 内側から開ける郵便受けの蓋をあけると、箱の底に、ある物がポツンと転がっていた。わしらが午前中必死になって探し廻っていた、問題の財布だった。

 すぐ玄関のドアを開けて外を見まわしたが、もはや人の姿はなかった。

         ◇

 わしらがさいきん経験した出来事をそのまま書いたが、ふつうの常識的感覚からすれば、辻褄がそろわないというか、腑に落ちないところがある。

 ヒマにまかせてその腑に落ちないところを追ってみたが、追えば追うほどよけい腑から遠ざかるように思える。

 ま、85年も生きてきても、人生というヤツはよく分からない。
 おのれの浅学菲才や知的怠慢を考慮に入れても、この世はよく分からない所だ。
 そもそも何のためにこの世に生まれてくるのか、ということがどうしても分からない。

 毎度同じことを言っているが・・・。

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当ブログは週1回の更新(金曜)を原則にしております。いつなんどきすってんコロリンと転んで、あの世へ引っ越しすることになるかもわかりませんけど、ま、それまではね。

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ついにやって来た?(4)” に対して1件のコメントがあります。

  1. kanae より:

    先日81歳の姉が喉に食べ物がつかえて、救急車をお願いした。幸いにも何もなくそのまま無事通過したので助かった。何気なく食べるのではなく、食べることに集中して一生懸命に食べないといけないらしい。何れは死は訪れるのだが苦しむのはイヤだ。
    お財布がでてきて本当に良かったですね。それにしてもまだまだ世の中には、親切な人がいるのですね。

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