入れ歯を入れたロバ

入れ歯を入れたロバ

 「お子様ランチってのがあるんだから、じじ様ランチとか、ばば様ランチってのがあってもいいと思うんだけど、見たことないねぇ。なぜだろう?」

 ・・・みたいなことを誰かがどこかで書いていた。

 いきなり反論を言うようだが、そういう料理をメニューに出す店は、おそらくこれからも絶対に出てこないだろうと思う。なぜならそんな名前の料理を出したって、たとえ美味しくても誰も注文しないだろうから。

 理由は簡単。前々回に書いたことに尽きると思う。(前々回『公的老人の弁』はこちら
 
 しかし、「じじ・ばばランチ」というメニューを実際に出すとすれば、その最大の特徴は何だろうかと考えてみた。ヒマだからサ。

 それは、ライスの山のてっぺんに古希の旗を立てることでも、金さん銀さんの似顔を食材で描くことでもない。
 重要・・・というより何より必須なのは、次の二つ。
 柔らかいモノを出すことと、量を少なくすることだ。・・・と思う。
 
 この2点を徹底したうえで、メニューの名前を “ご長寿ランチ” とか “寿ランチ” とかにすれば、需要があるのは確かだから、けっこう出るのではないかと思う。
 
 ・・・と書いていて遙かに思い出すが、かつて・・・20代から30代半ばあたりまでのわしにとって、なによりのご馳走は量が多いことだった。
 何かいいことがあって、今日の晩めしは一丁フンパツするか・・・というようなときには、何よりもまず “大盛り” を注文したものだ。そのときの気持ちには、いま高級寿司店で「松」を注文する以上のワクワク感があった。
 
 ところが現在は、食事のときに毎回のようにカミさんに言うのは、「量を少なくして!」だ。
 ところがカミさんは、量が多いとそれだけで単純に喜んだかつてのわしのイメージが頭にこびりついているとみえて、黙っているとたまにうんざりするほどの量を出す。彼女の記憶力はちょいちょいどっかに遊びに行っちゃうので、目の前にすわっているのが80代半ばの爺サンであることを忘れてしまうらしい。
 
 テレビなどで若いひとが大皿の上の大量の料理を、まるで周辺にシブキを跳ね飛ばすような勢いで食べている姿を見ると、わしは思わず見とれてしまう。そして心そこ羨ましいと思う。美女に囲まれてチヤホヤされるのを見ても、別になんとも思わんのにサ。
 
 かつて見た映画やドラマの中に、皿にかぶりつくように食べている若者を見て、かたわらの年寄りが羨ましそうな・・・ほとんど嫉妬の目で見ているシーンがちょくちょくあったのを思い出す。
 そんなシーンを、わざわざ撮って挿入したおそらく老人監督の切ない思いが、如実に分かるようになったのは、あんまり嬉しいことじゃない。
 
 口に入れた食べものに歯が立たないとき、固くて呑み込めないときほど、人間として情けない気持ちになることはない。ちょっと強めにいえば、人生が寂しくなる。やはり「食」は「命」に直結するものだと実感する。
 
 あまり言いたくないが、実はわしの上の歯は総入れ歯だ。
 口に入れたものが固いと、わしの義歯はちょいちょい外れて、食べたものと手をつないで口の中を散歩する。

 それをうっかり噛んだりすると、外れた義歯が歯ぐきに食い込んですごく痛い。・・・のはもちろんだが、この時の口のなかの感じは、じつにえも言われぬ異常な感じがする。口の中に機動戦士ガンダムが暴れまわってる感じだ。
 
 とつぜん思い出したが、東京・上野動物園にかつて、初めての女性園長になった増井光子さんという獣医師がいた。名物園長で、マスコミにもよく顔を出したので記憶に残ってるひともあると思うが、その増井さんの話に「入れ歯を入れたロバ」というのがあって、わしには圧倒的に印象が強い。
 
 あるロバが老いて歯がほとんど抜けてしまった。
 ふつうなら食餌が満足に摂れないと死んでしまうのだが、そのロバは愛嬌のあるロバだったので、増井さんが惜しんでダメで元々と、それまで誰も試みた者のいないトッピなを実験を試みた。

「ロバに入れ歯を入れてみた」のである。
 
 ところが結果は、半信半疑だった大方の予想に反して、大成功だった。
 食べ物をちゃんと噛めるようになり、それと共に衰えかけていた体力も回復してきた。

 しかしもうひとつ、誰も想像しなかった想定外のできごとが起きた。
 そのロバは精神的にもひどく若返ったのである。
 誰の目にも明らかに元気になって、生きていることが嬉しくてうれしくてたまらないといった風に、実際に弾んだように辺りを跳びまわって、飼育員を驚かせたらしい。
 
 しかも、この話には嘘のようなオチがつく。
 
 そうやって嬉々として走りまわり跳びはねているうちに、脚を折ってしまい、それが原因でほどなくして死んでしまったのだという。
 
 神が人生に皮肉な仕掛けをするのは別に人間に対するだけでないにしても、このロバだけはもう少し長生きさせてやりたかったと思う。ホントに・・・。
 

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