カラスだって・・・

カラスの大群

 ごくたま・・・1年に1回くらいだろうか。あるいは1年半に1回くらいか。
 
 季節もまちまちだ。決まった時期ではない。メモを取っているわけじゃないから、確かじゃないけど・・・。
 
 朝、まだ完全に明けきらない薄明いうちから、それは始まる。

 2羽や3羽ではない。20羽~30羽。いやあるいはそれ以上、ひょっとすると100羽近くいるかもしれない。
 カーカー、ガーガー、ギャーギャーと騒ぎ立てる。

 こうなると人間様はおちおち寝ていられない。
 起き出して舌打ちしながら、あるいは大あくびをしながら、窓を開けて何ゴトかと戸外を窺う。

 周辺の木々の枝々、電信柱や送電線の上、あるいは民家や車庫の屋根の上など、あらゆるところにおびただしい数のカラスがいて、騒いでいる。もちろん空中を飛び交いながら鳴き立ててるやつもいる。

 ふだんは目には見えなくても、こんなにも多くのカラスがこの辺には棲んでいるのか、と改めて驚かされる。
 
 いったい何ごとが起きたのか。
 もちろんそんなこと分かるわけはない。カラスに訊いても答えてくれないだろうし、何しろあっちは今はそれどころじゃないみたいだから。

 しかしだからこそこっちは知りたくなる。いったいこの周辺のカラス社会には、朝から何ゴトが起きているのかと。

 ひょっとして、対立している隣の群落が、先鋭部隊を境界線付近に集結させているのかもしれない。暴挙だ、ぜったい許せないと怒っているのかも・・・。

 あるいは、ほんらいは自分たちの縄張りエリアを、隣の大グループが自国エリアだと主張して強引な脅しをかけているのか。

 それとも、同じ群落内のNO.2かNO.3あたりの野心的若手が、ボスが近年衰えてきているのを見てクーデターを起こしたのか。で、ボス派と反ボス派に分かれて睨み合っているとか。
 
 ともあれこれだけ多くのカラスが只ならぬ様子で騒いでいるのだから、なにか重大な問題が起きているのは間違いない。
 
 ・・・と好奇心は高まるが、何十年もカラスと取り組んでいる研究者や鳥類学者だって、正確なことは分からないにちがいない。
 
 せいぜいわしに分かるのは次のようなことだ。
 いつも思うことだが、人間にかぎらず、この世のあらゆる生きものは、いったん生まれたら死ぬまでの間に、否応なく大小さまざまな問題に出遭う。もっといえば、艱難辛苦に出遭う。生きものは、生まれながらにしてそういう宿命から逃れられない。
 
 2021年2月19日の当ブログにも、南米に棲息する毒カエルの生きざまを追ったテレビドキュメンタリーを観た話を書いているが、その一生は一難去ってまた一難の連続だった。一小毒ガエルとはいえ、その苦難の様は人間に勝るとも劣らず、観ていて辛くなるほどだった。(『命がけで恋人に会いに行く』(2021年2月19日)はこちら

 あなたやわたしといった、個々の人間だけではない。国とか民族、会社や組織といった団体にも、集合体としての同様の苦悩の波が寄せては返す。

 そこにはいっさいの例外はない。最下層の庶民から最上層の皇室レベルに至るまで。それぞれのレベルでそれぞれの問題があって、悩んだりみ苦しんだりする。
 その悩みや苦しみの強度や深さに、層・クラスの高低による差はない。
 
 くり返すが、これはこの世に生まれてきたものの避けられない宿命だ。・・・とわしは思う。
 
 だが、それはいったい何のためなのか?
 そのことにどんな意味、あるいは必要・必然性があるのか? 
 85年も生きてきながら、恥ずかしながら未だに分からない。
 
 かろうじてわしが得たのは、85年かけても、結局は何も分からないことが分かった・・・という情けない結論だけだ。
 
 今ふと気づいたが、猫と犬の仲間には、この “生きものの生きる苦悩” を免れた例外的な幸せなヤツも時にはいる。

 生まれたときから、働かなくても上等な食いものを与えられて、ソファーの上にひっくり返って、満腹した腹をさらして寝ている犬猫の姿を、近ごろときどきテレビで見る。
 
 ウラヤマしい! ・・・と思ってもしょうがねぇか。

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